第一章 我が人生苦しみの連続なり

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85歳という高齢の父が救急車で運ばれた。 父の経営する店の隣りのマンションが生活の住居なので、店をきちんとシャッターも閉めて鍵をかけて帰宅した。 母が異変に気付いた。 父は 「薬を店に忘れた。いけない!」 という声が部屋から聞こえたが たまたま母が様子を見に行くと自分の部屋で着替える途中で前かがみに頭を下げて上半身を衣類が沢山かかった衣紋掛けに突っ伏している状態だった。母が声かけをした。 「大丈夫ですか?どうしたの?」 父は目がうつろで黒目が別の方向にあって意識がないようだった。 母がまず40分程実家から離れた私にびっくりして電話を入れた。 私は 「すぐ119で救急車を呼んで!」 というと判断の遅い母は 「あなたしてよ」 と答えた。 「母がするべき!すぐに!」 というと、 母はようやくその勢いで決心がついたようで、 「わ、分かったわよ」 と言って電話を切った。 私は連絡が取れる兄弟に一斉に状況を説明してメールを送った。 たまたま、金曜日の夜といえども普段忙しい、次女と長男がお勤めの仕事がたまたま早く終わったので、後から連絡がきた病院に向かった。長女は住まいが遠いのでメールによって理性的にアドバイスをくれた。三女はもっととても遠いので、心配ばかりかけるのもと思い、一斉メールの中のリストには入れなかった。 後から話しを聞いてみると、父が倒れたのはおそらく19時45分、救急車が着いてから脳卒中・神経脊椎センターに運ばれたのが 20時15分前。母と電話で再度話し、病院を聞いて、いち早く駆けつけられたのは次女、私(四女)は自宅から電車、タクシーに乗って夫と向かった。 兄は最初自宅に戻った。それは大正解だった。 母がお鍋に水をたくさん入れて火にかけたまま、救急車に乗って病院に付き添っていってしまった。そのため、沸騰したお鍋は黒焦げで部屋の中は熱気がこもり、火種を出しかねないかもしれない状態だった。 母は焦りで動揺していたのであろう。 ちょうどマンションでガス漏れのトラブルがあった日で皆神経質になっていたし、火種にならず本当に安堵した。 脳梗塞だという。救急車で運ばれた翌日は週3回一日3時間の人工透析が待っている。 病院に運ばれたが基本的には人工透析はやらない、と言う。 高齢者、人工透析患者、重症の貧血を考えると中々厳しい状況である。
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