安田課長の憂鬱

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「驚かせてしまい、すみません。田所部長がお呼びです」  部下のひとり香坂が、私の様子にちょっとだけ面食らった顔をしながら、話しかけてきた。 「呼び出されるなんて、穏やかに話が出来ない証拠だな。よっこらせ」 「今回あった、江藤と宮本の騒動についてですよね。安田課長、お顔の色が優れませんが、大丈夫ですか?」  両手を使って立ち上がった私を、心配そうに見つめる香坂に、にっこりと微笑んでみせた。  さてコイツのあたたかさは、上司に対して胡麻を摺る為なのか、あるいは本物の親切心からなのか。人の心は見えないからこそ、想像力が無限大に広がって面白い。 「出来る事なら香坂に、この役を代わって欲しいくらいだな」  さあこの言葉お前は、なんて答えるだろう。 「ポストチェンジですか。う~ん……安田課長の立ち位置は苦労が目に見えるので、いっその事、田所部長とチェンジしたいです」 (なるほど、それはいい考えじゃないか――) 「香坂にこき使われる日も、そう遠くないかもしれないな。行ってくる」  機転の利く香坂に手を下すのは難しそうだが、田所部長はいかがなものだろう。  葉の上に溜まった朝露が、何かの拍子にぽろりと零れ落ちたような感覚――さっきまで抱えていた憂鬱が、一気に晴れていく。  未来ある若者ふたりに、強引な理由をつけて手をかけるよりも、自分のその時の気分ひとつで部下に嫌味を言いまくる、厄介な上司を潰した方が、精神衛生上いいじゃないか。しかも空いたポストに座るのは、営業成績からいくと、自分になる可能性が大いにある。  そうなると、今回の一件をないものに出来るという一石二鳥に、自然と笑みが零れてしまった。小脇には嫌味の素材となる、始末書を抱えているのにだ。
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