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「じゃあそういう事で。まぁ今後会う事もないだろうけど万が一会っても話しかけないから」
せっかくの休日をこんなことで終わらせるなんて馬鹿らしい。早く帰って、昨夜仕事帰りに買ったハードカバーの続きを読もうか。それとも、久しぶりに映画館でも行ってみようか。観たかった映画がまだ公開中だったはずだ。考えただけでわくわくする。
男に背を向けて歩き出してからどのくらいだろう、親子連れが賑わう広場を抜け、公園の出口付近に近づいたところで右肩をグッと掴まれた。そのまま後ろに振り向かされる。
「ちょっと待てって」
低い、男の声。
つい小一時間ほど前に待ち合わせ場所で会った時とは別人だ。優しい恋人であった男とは思えない。いや、恋人だったからこそ、の感情なのかもしれない。
「なに?」
さり気なく掴まれた右肩を払う。
「まだ話は終わってねえだろ。なんだ、別れるって」
「違ったの?沙世ちゃんに相当言い寄ってんの、私知ってるんだけど」
脳裏に笑顔で挨拶をする沙世が浮かんだ。
千紘が可愛く思っていた、アルバイトの大学生。
思っていた――そう、彼女はもういない。大学三年生になり、早めの就職活動に専念するためと辞めてしまったのだ。確かに時期的にバイトに励む事はないだろう。けれどそれが表向きの理由であることは周知の事実だ。
まだ沙世が店にいた頃、恋人だったこの男が数回千紘を迎えに来た事があった。
その後携帯番号をしつこく訊かれて困っていたのを知っている。千紘が気分を害さぬよう彼女は必死に隠していたのだが、そこは女が多い職場だ。所詮人の口に戸は立てられないと言ったところか。
千紘は噂を鵜呑みにする性格ではない。しかし、滅多に軽口を叩くタイプではない同僚がその現場を目撃し、「言いにくいんだけど」と報告されたのだった。そしてその直後、沙世は逃げるように辞めてしまった。
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