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畜生、なぜ俺が謝らねばならないんだ。渋い思いで腰を下ろして、メニューを見る。以前と同じメニューだ。しかし、店もメニューの紙も、たったふた月でずいぶん薄汚れたようだ。
「帰りたいよ」
奥からひそひそ声が聞こえてきた。
「さっきは帰っていいって、あんた言ったじゃないか」
老婆の声だ。
「お客が来たんだろう。もうちょっとだけ頼むよ」
こちらはシェフの声らしい。
「腰が痛いんだよ。このあいだの検査の結果も話しただろう。コレステロールの数値が悪いんだ。あんまり年寄りをこき使わないでおくれ」
「わかったよ、だったら帰れよ」
シェフが吐き棄てるように言う。
「そんな言い方をしなくたっていいじゃないか」
老婆の口調も荒くなった。
「そりゃ、あたしのすることはあんたのお気に召さないだろうさ。でもね、こうなったのはあたしのせいじゃないんだからね」
「声が大きい。お客に聞こえる」
「聞こえたって仕方がないよ。大きな声を出しているのはあんただよ。どだい、あんたに経営なんて無理だったんだよ。あの女の口車に乗って。挙句(あげく)は逃げられてさ」
うわあ。
修治(しゅうじ)はそっと立ち上がった。
奥さん、逃げちゃったのか。何てことだ。これはいたたまれない。音を立てぬように扉を開け、すり抜けた。
たった二ヵ月で、どうしてそんなことになってしまったんだろう。
どうであれ、もう、この店には来ない方がいいな。
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