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思い起こせばあの日、佳世子も周囲の視線などまるで気にしていなかった。が、修治はそういう風にふるまえる性質ではない。子供のときから母親に言われていた。
「常に誰かに見られていると意識しなさい。それが大人というものよ」
同時に、父親からはこう言われていた。
「周囲を意識しすぎると、いけないよ。他人がどう見るか、どう思うか、そんなに重要なことかい?」
重要に決まっているじゃないか。父親の言葉だけは聞いちゃいけない。
ビールも生ハムもオムレツも、まあまあといった味だった。
しかしその後、修治は三日に一度は、その『スペイン風居酒屋』に顔を出すようになっていた。
厨房に店主、フロアにあの女の子と、二人だけで営業しているらしかった。店主は若い。まだ三十歳そこそこだろう。なかなか美男子でもあり、愛想もよかった。そのせいか、店の常連には女性客が多いようだ。手が空くと、マスターは女性客と会話をはじめる。修治は店員の大森さんと口をきく。
「彼女とは仲直りしたんですか」
急に訊(き)かれてびっくりしたりする。酒がまわって、要らないことまでいろいろ打ち明けてしまったとみえる。
「仲直りというのか、自然となし崩しにね」
「彼女も連れてきてくださいよ」
「そのうちね」
答えはするものの、何となくここに佳世子を連れてくるのは気が進まない。
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