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かつて「鬼才」と呼ばれた彼に纏わる噂話は、異常だった。
人生を何度もやり直しているとか、時間を止められるとか、新人類であるとか、人の考えが分かるとか、……エトセトラ。
実際、そんな噂話をまことしやかに思わせるほど、彼は優秀だった。
日本有数の難関校であるこの聖仙高校に首席で入学してるし、数年前は神童としてテレビで引っ張りだこだったし、アメリカだかの大学から入学推薦状が来ていたらしいし、まあ、つまり、その手の話は事欠かない程にはあった。
彼はまさしく「鬼才」だったのだ。
けれど、全て「だった」話、全て今は昔。
約一年前、一年生の夏休みを過ぎて彼の明晰っぷりは、これまでが嘘だったのかのように霧消したのだ。そして必然、そんな噂もめっきり鳴りを潜めた。
そんな彼は今、皆からこう呼ばれている。
「……黄昏鬼才、結城悠希(ユウキユウキ)」
人のいない階段。私のその呟きが低く反響して消えた。
旧校舎の三階。そしてその最奥、社会科準備室。
終礼のチャイムが鳴ってから完全下校の時間になるまで、誰も寄り付かないその場所。今ではまるで隠者の如く、そこに彼はいると聞いた。
四段上って三階に辿り着いた。
差し込む西日が床に反射して眩む。あまり使われない場所だからか、掃除も疎かにされているのだろう。少し埃っぽい。けれど、そんな空気でも、自身を落ち着けるために深く吸い込む。
「…………けほっ」
むせたけど。
私はこれからそんな黄昏鬼才に会ってみようとしていた。
決して、冷やかしなどではない。
打開したい現状がある。
彼に纏わる噂の一つに縋ってでも、変えたい情況がある。
社会科準備室の前に立つ。そして、私はそのドアをノックした。
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