第1章 舞台`じんせい`とは舞台`ぶたい`である 

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「舞台"じんせい"とは舞台"ぶたい"である。その舞台"じんせい"で自由に出来るのが主人公である自分だ」 いつだっけな?昔にこの言葉を聞いて不思議に思ったことがある。 その舞台の上で自由に出来ない人は何になるのだろう?と。 いま考えれば至極簡単、自由に出来ない人は脇役、モブキャラ、通行人A、町の娘B等々に辺るわけだ。 そしてこのご時世、そういった人達のほうが多いのではないか?と思ったりもした。 だって、本当にしたいことなんて中々見つからないし、それに、見つかったとしても、それをやっていける人、それで食べていける人なんて、ほんの一握りしかいないのだから。 そう考えると、大体の人はしたくもない仕事をさせられて、したくもない我慢をして、決められた仕事をこなすだの脇役になっていく。 さて、話は変わるけど『神』って信じるかい? いや、正確にいえば『我々、人類は神によって創られた』ってことを信じるかい? まぁ、信じるにしても信じないにしても、この場で大事なのは『人類は神によって創られた』ってこと。 そして、いくら全知全能の神が創ったって予想外の出来事が起こるのが世界ってもんだ。 そう、予想外にして意外、異例にして例外、そんなbugが起きていた。 さて、bugといっても人間から人間以外の生物が産まれるとかそんなことではないよ。 ここでいうbugとは、己の舞台"じんせい"なのに主人公にも脇役にもなれないヤツのことを示している。 そんなヤツらのことを、世間では落ちこぼれやニート、社会不適合者やサイコパスなんて名前"レッテル"で呼ばれる。 そして彼らbug達は、よく分からない世間のルールというもののせいで、世間から疎まれ虐げられ、また世間から負いて渇れる。 さて、これから語る話はそのbug達のなかにいる、ある1人のbugの話である。
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