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窓の外はすぐ隣の建物が迫り、かすかな隙間の向こうに路地が見えている。昼間でも薄暗い6畳の部屋は、ちはるの気分をそのまま映し出したような昏さを剣呑と漂わせていた。 引き出しを開けて、ラインストーンがきらめく宝箱から手紙の束をとりだす。日付は5月の半ば、一番上の白い封筒から開く。 〈ちはるへ〉で始まる文面には、長野のひと足遅い春の訪れとともに相手の近況が綴られている。 その末尾に、「好きだよ」の一言がなくなったのはいつからだっただろう。内容が便せん1枚におさまるようになったのは、返事が遅くなりだしたのは。 ちはるは上から順番に手紙に目を通し始める。 時間を遡るほどに、手紙をしたためた相手の「ちはる」と穏やかに笑う笑顔がこぼれてくる。それは夜空に瞬く星のように遠い。 いつのまにか窓から差しこむ光は夕陽の色に染まり、部屋をいっそう暗くしている。ベランダからかろうじて見える空というには狭すぎる空が、東京に押しつぶされる自分を象徴するようだった。 一番古い手紙に視線を落としたまま、ちはるは暗く沈んでいく部屋で東京が翳っていく音に耳を澄ませた。 子ども達が別れて駆け去る音がした。隣の部屋の玄関の開け閉めする音がした。犬とその飼い主が挨拶を交わす音がした。すぐ近くの小さな商店街では、もっと明日へ続く音がしているはずだ。 たくさんの家の音の中に、ちはるが置き去りにしたくしゃくしゃの手紙も音をたてている気がした。 それは故郷の長野に繋がる、ちはるの音。 ちはるは玄関を飛び出して、三叉路の公園に駆け込んだ。 滑り台に近づき、穴に手をいれた。さっき捨てたはずの断片を指先が求めて、そして紙に触れる。かすかに首を傾げたちはるは、ゆっくりと穴の中で音をたてたものを引っ張りだした。 白くしわもほとんどないまま小さく折り畳まれた紙は、開くとA4サイズの数学の問題用紙だった。その裏に〈ちはるさんという人へ〉で始まる、少しクセのある字体が並んでいる。 戸惑った表情でちはるはその問題用紙に視線を落とした。 〈はじめまして。ぼくは、二葉学園に通う中学3年生です。本当はこんなことしちゃいけないのかもしれないけど、手紙を見つけて、これを書いています〉 二葉学園といえば、S区で有名な私立中高一貫校だ。
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