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その10
重苦しい空気を引きずったまま数日が過ぎた。
アルコールの量も夜毎に増え、
必然的に朝の体調は悪く、まともに食事を摂ることもできない。
「酒を持ってきてくれ…ウォッカがいい」
私の健康を慮るシエルの差配で、辛うじて酒量はセーブされていたものの、私の精神は朝な夕なに酩酊を欲した。
「…酒が足りない‥‥シエル‥‥
‥‥‥‥‥シエルッ!!」
・・・いつもの返事がない。
おぼつかない足取りでバーカウンターへ移動し、シエル自慢のコレクションボードの扉を
・・・扉を・・・・扉・・が‥
開かないっ!?
こだわりのワインセラーはもちろん、季節毎の手作り果実酒の保管庫も施錠され、
料理用ワインやリキュールまでどこかに消えていた。
閉口した私は、いつかシエルに案内された散策コースをフラフラ歩いていた。
ほどなく迂回し、涼しい日陰の磯を見つけ膝を折り、滅多に吸わない煙草をふかした。
(次は釣竿を持って来よう‥)
と、不良中年は思った。
コテージに戻った私は、快晴の空の下、シエルが庭先の鉢植えを抱え、サンルームと庭を往復しているところに出くわした。
「台風が接近してるって。船も格納しなきゃ‥‥あ、出海さんも部屋の窓‥雨戸のロック忘れないで‥‥‥」
「‥‥呼んだのに…
返事もしないんだな、ここのギャルソンは…」
慌ただしく防災準備に追われる彼を労うことすら忘れ、私は不機嫌に嫌味を溢しその場を後にした。
こんな態度でシエルへの想いにけじめをつけられることはない。
しかし、自分にはどうにもできなかった。
眠ってなお悩ませる、
シエルが思い憚る恋人の影…私ではない誰かと交わす熱い抱擁…幸せそうな微笑み‥‥
浅い眠りのやるせなさに身を捩り、また酒を煽る‥‥
私がいくらシエルに心焦がしても、選択するのは彼の心の自由。
宿の主と宿泊客の関係以外、私たちふたりを繋ぐ絆などみあたらない現実…。
「シャオ‥‥‥出ておいで、シャオ…」
看板猫シャオの姿が見つからないらしい。
窓のカーテンを閉め、ベッドに体を投げ出した。
(そうだ‥イイぞ‥出るなよ、シャオ…
少しくらい片恋の痛みを味わえばいい…)
‥‥そんな子供じみたケチな自分に私自身が失望し、嫌気がさす‥。
(…磯の鮑の片思い‥的な‥‥‥フ‥ハハハ‥)
私はついさっきシャオが猫用ベッドに潜り込んでいくのを目撃したばかり‥‥
台風は恐るべき速度で近づいた。
午前中はあんなに晴れ渡っていた空が見る見る低い雲に覆われ、灰色の雲は形を変えながら体積を増し猛烈な勢いで流れ始めた。
消防団の警戒アナウンスも、風になぶられ鳴り響く木々の枝葉に掻き消された。
柱が擦れ合いギシギシと音をたてる島の一軒家。
激しい雨が不規則に叩きつけ雨戸も窓硝子も歪む。
私は嵐になると妙にワクワクする変な感覚の子供だった。今もソコは変わりない。
波は轟々とうねり、巖をも砕く勢いに弾かれた波飛沫を高々と吹きあげていた。
シエルの方こそどこでナニをしているのか…
「さぁおいで‥シャオ、シエルを驚かせてやろうじゃないか‥フフフ‥」
じきに戻ってくるであろう彼をシャオと共にリビングで待ちわびた。
…直ぐに戻ると思っていた‥‥
シエルは未だ戻っては来ない。
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