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その1
長閑な町の漁港から小型ボートで片道10分。
緑の木々に覆われた愛らしい島が見える。
東京ドーム程の小さな島。
軽快なエンジン音‥夏の陽射し‥
此処が海上だということを忘れるくらい空気は爽やかだ。
ボートは汐を巻き上げ目的の小島へと向かう。
舵を握る船頭は、米寿を前に漁師を引退したばかりだという。
ピンと伸びた背筋や見事な舵捌きを見るかぎり、微塵の老衰も感じさせない。
ただ、潮に焼けた肌や刻まれた皺の深さから、漁師一筋に生きた人生の重さが沁々と伺えるのだった。
たまにこうして船を出し島々を結んで地域奉仕を楽しんでいられるのは、幼い頃からこの海が鍛えてくれたお陰だと、船頭は誇らしげに語った。
そうして世間話など交わしているうち、
ボートは小島の桟橋に到着。
「おーい、シエちゃん!お客様だァ!!」
船頭は鮮やかな手捌きで艫綱を架けボートをしっかりと固定した。
「エエーッ?!…お客様‥って‥‥ちょっ…
ぅああっ!今、手が離せなあぁい!!!
ま‥‥待ってて、オヤッさんっ!!」
コテージの奥からひどく狼狽える若者の声がした。
それでも船頭は声の主にはいっこうに構わず船の積み荷を降ろし始めた。
「私‥手伝いますよ」
食材や日用品の入った段ボールをひとつ手にとった。
「お客様に手伝わせるなんてとんでもねぇ!」
と船頭が慌てて荷を取り返そうとするので、私達は一頻り押し問答となった。
#人は僥倖に恵まれた時、こうもたじろぎ茫然自失するものなのか…#
「おまたせ、オヤジさん!ゴメンゴメン‥オーブン覗いてたンで焦っちゃって‥‥‥‥ん?
・・・ナニを揉めてるの?」
現れたのは、
艶やかなプラチナブロンドの長い髪を束ねた、微笑みも爽やかなコーカソイドの美青年☆
(は‥はだかエプロンンンっっ!!!?☆)
漲る若さ!
6尺の私も上向く長身、
武骨にして繊細な佇まい‥
ルネサンス彫刻を想わせる均整のとれた美しい肉体!
「よぉっ!シエちゃん☆
船溜りでヨ‥ここいらじゃ見掛けねぇ品の良い旦那がフラフラしてっから声掛けたら、ココのお客だってンじゃねぇか!
配送ついでだ、一緒に乗せち来た‥」
「お出迎えは夕方の予定じゃ…ソかそか、
な~るほど‥ありがとネ、オヤジさん☆」
この髪色には珍しい黒い瞳に純直な幼さと孤高の気品が漂い、
まるでアポロンの寵児キュパリッソスのリアルを見るようだ。
弛めのジーンズを巧妙に留める引き締まった腰回りは躍動感と野性味を帯び、しなやかなS字を描くラインに機敏で艶かしいネコ科動物を連想させる。
加えて、素肌に纏ったモスグリーンのエプロンが、憎々しいほどに焦れを煽り私を挑発するのだ!
左背部に刻まれたtattooの危うさもまた扇情的で、妖しくも悩ましい…。
額から伝う汗や無精髭さえ、私には神々しいばかりの恐るべき池様である!
「‥‥お‥ぉぉぅ‥!」
思わず感嘆を漏らし怯んだ私が余程滑稽だったらしく、船頭は豪快に笑った。
「わっはっはっはっは☆
とうとう野郎まで腰抜かしやがったか!?
男前だろ?(笑)
シエちゃん逢いたさに、漁協の女どもが島に連れてけってウルセーのヨ!
ワシに言わせりゃノッポで乳クセェ面の若造だがナ(笑)
そンでも“男一匹”女に目もくれず、こうやって島ァ背負って田舎盛り立てて…なかなか骨のあるテェした男さ!
姓は【六道】名を【神龍】人呼んで【夕凪のしえる】たぁ、この男のことヨ!」
「あーもぉっ‥そんな、やめてよぉ!オヤジさんってば…
…え‥と‥佐々木出海さん‥ですね?ようこそいらっしゃい☆」
「‥あ‥ど、どうも‥予定より早く来てしまってね‥
え、イヤ、その‥べつに揉めてたわけでは‥‥
‥‥あなたが‥オーナー?」
「ええ、オーナーで従業員の六道神龍
神様の龍と書いて、しんりゅう‥しぇんろん‥‥しぅりぅ‥‥‥しえる☆」
名前をネタに屈託なく笑うシエルに私の心は一撃玉砕だった。
「3ヶ月間ご利用予定ですよね。
サービスはボクが…何なりとお申し付け下さい☆」
「ェ‥あぁ‥いきなり“初めまして”の分際で‥貸し切りの無理などお願いして‥‥申し訳なぃ…」
メンクイの“ゲイ”にとって、この状況をどう捉えるべきか…私はぼんやりと滞在の在り方について逡巡していた…。
「全然無理じゃない!
長期滞在大歓迎ですよ、いっぱい無理言って下さい☆」
「おぅヨ!こんな辺鄙な町まで来て下さった大事なお客様だ。
精一杯もてなしさせちくれ!」
私たちは誰からともなく握手を交わした。
「お疲れでしょ?
中へ‥さ、どうぞどうぞ!
ありがとうオヤジさん、荷物は僕が運ぶよ。冷たいモノでも飲んでって☆」
とはいうものの、荷運びなど手分けすれば造作もないこと‥
結局3名で協力し、ワイワイと賑やかにコテージへ運び込んだ。
「‥あと郵便物と…伝票…ココにハンコ‥
お客さん‥画描きさんだって?
そのうちワシの生き絵も描いて貰うかなァ、遺影がわりに家族に飾らせるんだ(笑)」
「肖像画でしたら喜んでお引き受けしますよ‥こちらからモデルをお願いしたいくらいだ…」
「お、ワシがそんな色男だってか?
ワハハハ☆悪ィなシエ公、オメェさんのお株盗っちまった(笑)」
「男も惚れるってヤツ‥フフフ‥
オヤジさんはイカシてるよ。産まれながらの海の漢だもの。
ご苦労様、いつも助かる♪
よかったらコレ‥お裾分け‥」
「おおっ♪焼き菓子!?こいつぁ嬉しい☆
ココのはンめぇんだ、孫たちも歓ぶゾ(笑)」
老人は受け取った包みを大事に操舵席に置き、エンジンを掛けた。
「退屈ンなったらいつでも連絡よこしな。
イイ店連れてってやらぁ!ワハハハハハ☆
…じゃあ、またナ!」
ボートはポトポトと港へと戻っていった。
「‥‥‥気のイイお爺さんでしょう(笑)
若輩者の僕のことが心配でなにかと気遣ってくれるんだ‥。
ぁ‥なんかバタバタでゴメンなさい!
お茶にしようか☆」
「私の方こそ連絡も入れずすまなかった。
‥‥ここは‥良いね、環境も人柄も…」
「そぉ?気に入って頂けたンなら良かった♪
今日から島の王様は佐々木さんです。
思う存分‥いーっぱいワガママ言って下さいねっ、全力で尽くすよ☆」
そういって彼はキッチンから焼きたてのパイとフルーツを庭先のテーブルに運んだ。
(‥尽くす‥?‥)
この一言に私の邪心がざわついた。
恐らく彼はノーマルに違いないし、仮にその道の人間だとしても、私達が恋愛関係を築くにはあまりに唐突すぎる。
しかしこの言葉は、これから私がこの島で過ごしていく上での覚悟と作品製作のモチベーションを、予想以上に高めるものであった。
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