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その7
どんな事情があって彫物を背負わなければならないのか、
シエルの口からは一切答えが出てこない。
消したところで傷痕は残り、痛みは施術を上回るという除去手術を受けるより、
作品の完成に協力する方が懸命かもしれない…。
私の心は揺れていた。
約束の日、シエルは岬の先端にボートを走らせた。陸路には道がない閉ざされた場所だった。
(ヤバい‥逃げられない…)
元釣り小屋を改装したと思われる古びた小さな家屋の軒先で煙草を燻らす男がひとり…。
「やぁごきげんよう、シエル。
こちらが例の付き添いの?…クスッ‥‥‥
‥‥入って…」
ゾッとするような全身tattooに無数のピアス、細身だが筋肉質、ツーブロックモヒカンの男‥年齢不詳…
お互い名乗り合う暇もなく部屋に通された。
「今日終えれば残り1回…お前がギブしなきゃナ‥‥‥フフ‥」
怪しげな器具と医薬品の棚、デザインサンプルやインクが並んだ施術室は思いの外清潔に整頓されている。
シエルの緊張が此方にまで伝染するようだ。
意を決して身を乗り出す私をシエルは神妙な面持ちで制した。
シエルは無言のままその場で裸になり、ベッドにうつ伏せた。
私がシエルの下半身にガウンをあてがうと、器具を手にした彫師は「余計なことはするな」と床に落とした。
「ケツの穴シッカリ絞めとけよ!」と声をかけシエルの尻をパチンと叩くと、背中に顔を近付けニードルを当てた。
「ヴッ‥!」
細かいモーター音に紛れてシエルの呻きが漏れる。
眉根を寄せ苦痛に歪むその表情は、不謹慎ながら想像以上に凄まじくエロティックで、身震いするほどの色香を放った。
最も過敏な脇腹に彫りが及ぶとカッと目を見開き、涙が一筋伝い落ちた…。
「‥‥ッン゛…クッ‥‥はぁ‥ハァ…ヒッ‥‥
ぁ‥ぅ‥あ‥ッ‥‥‥ン…ん‥フッふーふー‥うっ‥あああぁ‥‥」
暈しを施し広げるほどに、皮膚の艶やかさは増し、全身が強張り、喉や首筋やこめかみがヒクついた。
私は、彼の身体のあちこちで起こる筋肉の微動を感じては、若き生命の息吹きと実感を得るのだった。
透き通った肌にヂリヂリと染料を刻み込むに連れ、その刺し跡は桜色に熱を帯び膨らんで身体中汗ばんでゆく。
シエルの手元は狂おしく開いては閉じ、常に握りしめるシーツの皺の形を変えた。
「♪フンフフ~ン♪~」
彫師の鼻歌が、非道と背徳に陶酔しつつあった私を現実に連れ戻した。
「…さ‥ン‥‥‥い…ずみ‥‥」
シエルが微かなウイスパーで私を呼ぶ。
「‥此処にいる…大丈夫‥‥」
シエルに駆け寄り手を握った私を、彫師は一瞥し、ナニも見なかったといった様子で刺し続けた。
「‥‥はいっ休憩ェー!」
彫師はプイとどこかへ行ってしまった。
開始してから二時間が経過していた。
私はシエルに掛ける言葉が見つからず、彼の汗を拭ってやることしかできなかった。
「‥かっこワル…」
「‥‥‥」
「ありがと‥いずみさん…」
「…ん‥‥」
「…今日‥は‥楽勝…(笑)」
「‥‥ぅん…」
私はガウンをかけ直そうと繋いだ左手を離した。
「ヤ…離さないで‥手を‥‥握ってて…」
「‥‥‥‥‥‥ビビり…フフフ‥」
「一服したら?」
数種類の清涼飲料水の瓶を手に、彫師が戻ってきた。
ソファに深く座り、冷えたペリエをぐびぐびと飲み干し、2本目に手を伸ばした。
彫師から渡されたレモネードをシエルの手に持たせると、
「ヤるねー、シエル。やればできンじゃん♪
ソチラの旦那のおかげ?
『イヤー!ダメー!もーやめてー!』
『テメー!ビッチ!クソヤローッ!』
『しぬっしぬっ!もぉいっそ殺しやがれ!』
『金玉捻り潰すゾッボケー!』
『神様ホトケサマおたすけくださぁい‥』‥‥‥
いつもの人格崩壊見せてやれよ(笑)」
と、彫師は揶揄った。
シエルは顔を赤らめうつむいた。
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