第1章

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1  東京都足立区は千住にあります北千住の駅。  荒川と隅田川にはさまれたこの駅の西出口を出て左手に曲がりますと、昔な がらの飲み屋がつらなる夜の通りがございます。じつはちょっと前まで、この 横丁の路地裏に、おかしな習慣をもつオスのトラ猫が住んでおりました。その 猫は毎朝、決まった時間に北千住駅の改札をくぐって上り電車でお出かけし、 夕刻頃には下りに乗って帰って来るのですが、いったいノラ猫ごときが日中、 何処で何をしているのか、それを知る者はありません。同乗者にとっても、彼 はすでに当たり前の日常になっていて、今さら誰も注意を払おうとはしないの でした。  ところが、そんな彼の行動に関心を抱き、尾行して行き先を突き止めた方が おられます。墨田区は曳舟にお住まいの中学一年生の女神、アヤメさまでした。 彼女は七福神でおなじみの弁才天でありまして、普段は七福寺というお寺で人 間の少女として生活しています。  さて、このアヤメさま、大和の国にあまたおられる中でも特に珍しい平成生 まれの弁才天でした。なぜ平成生まれが珍しいかと申しますと、神仏をあつく 祀っていた昔ならいざしらず、信仰の薄れた現代に、新たな神さまがお生まれ になることは滅多にないからです。とは云え、まだ降臨から十年しか経ってお りませんので、自分ひとりで出来る事などほとんどありません。  アヤメさまは、姉君である東京弁天サクラさまの庇護のもと、人間の子供と 同じように、すくすくと健やかに育っている最中なのでした。  さて、ある金曜日。アヤメさまが寝坊をして、自宅のある曳舟から一本遅い 電車で学校に向う途中のことです。満員電車内で琵琶を抱きかかえ、もみくち ゃにされておりますと、網棚の上に太っちょのトラ猫が香箱座りをしているの が目に入りました。猫はとても賢そうな顔でまっすぐに前を見据え、置き物の ように動きません。 『あの猫さんは、何故あんな所にいるのでしょう』  アヤメさまは首をかしげました。もしかして、何かの拍子に閉じこめられて しまったのでしょうか。だとしたら次の駅で抱きおろし、逃がしてやらねばな りますまい。  そのうち電車は押上の駅に到着しました。女神が救いの手を差し伸べようと 身じろぎした時、ドアが開いて猫がのっそりと立ちあがります。そして、大き く伸びをしたかと思うと、網棚から飛び降りて、たまたま真下にいた若いサラ
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