第1章

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リーマンの肩にどすんと着地し、そこを踏み台にして、もう一度ジャンプ。見 事、満員電車から脱出してしまいました。 『おお……』  珍しいこと、面白いものに目がないアヤメさま。自分も釣られて、すし詰め の車内をかきわけて下車しましたところ、猫がホームの端を悠々と歩いていく のが見えます。やがて彼は、改札に向うエスカレーターの手すりに飛び乗り、 そのまま静かに上階に流されていきました。猫が切符を持っているとは思えま せん。無賃乗車をするつもりなのでしょうか。勘ぐるアヤメさまを尻目に、彼 は当たり前のように自動改札の下をくぐり、出口につづく階段を上がっていき ました。 「あ、待って……」  慌てて階段を駆け上がりますと、まず目に入ったのは、天空にそびえ立つ巨 大な東京スカイツリー。視線を落とすと、小さくなっていく猫の後姿も見えま す。  さて、どうしたものでしょう。学校に遅刻したくない気持ちと、猫を尾行し たい衝動。ふたつの感情がぶつかった末、呆気なく勝負はつきました。  アヤメさまは抱いていた琵琶を背負い、いそいそと尾行を開始したのであり ます。    結論から申しますと、猫の目的地は、駅から十分ほど歩いた所にある古い雑 居ビルでした。彼は、そのビルの二階にある店舗に入っていったのです。準備 中の札がかかったそのお店の名は〈にゃんこカフェ 634〉。 『猫カフェですか。あの猫さん、ここの従業員なのですね』  猫と無職は同義語と思っていましたが、ちゃんとお仕事に汗する猫もいたよ うです。アヤメさまは、この事を誰かに伝えたくて仕方がありません。  夕刻、学校から戻ったアヤメさまはどんぶりに水をはって部屋に運び、それ に向かって「姉さま、姉さま」と呼びかけました。するとそこに、サクラさま のお姿が浮かびます。 (これは〈みなも通信〉といいまして、弁才天同士が連絡をとりあう時の、も っとも簡便な方法です) 「なんですか、アヤメ」 「お忙しいところ、申し訳ありません。じつはわたくし、とても面白いものを 見つけてしまったのです」 「ほお、それはどんな?」 「電車でお仕事に通う、感心な猫さんです」 「そうですか」サクラ姉さまが、着物の袖を口にあててお笑いになりました。 「それは珍しい。その猫はきっと、またたび問屋の丁稚なのですね。昼間から 酔払って、奉公先から暇を出されなければよいのですが」
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