第1章

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会話のノリが悪い。面白い話ができない。冗談が通じない。そのうえ自意識は強い。この最後の項目は重要だ。ただおとなしくて話下手な子なら比較的優しく見守ってもらえる。自意識が空回っているやつこそ、「イタイ」と指差されて疎まれる。 実は小学校までは、私もこの仲間に入っていた。だからいつの間にか、ブキミと友達になってしまっていた。 しかし、私の場合中学生になるくらいの頃に事態が変わってきた。「キモイ」の基準が幼いころとはちょっと変わってくるのも理由のひとつかもしれない。子どものうちは、人と違う、浮いているやつが単純に「キモイ」だった。それが、みんなが成長して個性が認められるようになってくると、今度はとにかく面白さが追及されるようになる。重要なのは、そこで笑われる側に回るか、指差して笑う側に回るかだ。 だけど、もっと大きな原因は、成績による格差が見え始めたことじゃないかと思う。全体の人数が少ないだけに、成績の位置関係はよりクリアになる。教師も、小学校では「いい子」の基準を「手の掛からない子」に設定しているが、中学校だと「成績のいい子」に置いてくる。生徒全体が小さい頃ほどは手が掛からなくなってくるし、受験への意識も働いているからだろう。その変化に、意外にも子どもたちはまんまと乗せられてしまう。教師に認められている人がハブにされるのは、本格的ないじめの場合くらいだろう。もしかしてもっと大きい中学なら事情が違うのかもしれないが、うちの学校の生徒には、そこまで強く教師へ反抗する覇気もないのだ。ただ小さな声で教師を馬鹿にする悪口を言い合ったり、目立たない範囲で誰かをハブにしたり、私たちは、地味にうじうじと腐っている。 私はまさに、成績の良さでヒエラルキー底辺を脱した一人だった。べつに東大に行けるような秀才じゃないけれど、こんな小さな中学では学年に何人かのトップ組には入れた。そして、たったそれだけの権威に周りは驚くほど従順だった。もちろん普段から上下関係があるわけではない。でも、ちょっとくらい外れたことを言ったりやったりしても、後ろ指差されず、明るく笑い飛ばしてもらえる権利が保証されるようになった。
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