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「ほう、もう一泊、宿泊をご延長なさりたいと?」
少しまごつきながら申し出た女を、オーナーは意外そうな様子もなく眺めた後、やがてやんわりと頷いてよこした。
「お客様がそう望まれるのならば、僕には拒む理由もありませんからね」
そう言って微笑みを残し、ロビーを立ち去ろうとする老人の背中を、わたしは尚もひき止める。
「植野さん、待って下さい」
「はい、なんでしょうか?」
「これはいったい、なんなのですか?」
わたしの指差した暖炉脇の写真を、オーナーはゆっくりと見定め、白い口髭を弄った。
「恋人のモニュメント……ですな」
「はい。いったい誰が、何の目的で建てたものなんでしょうか?」
「さあね。
ただのちっぽけな銅像ですよ。
どこぞのセンチな人間が、恋人との思い出にでも建てた記念碑なんでしょうなぁ」
「ちっぽけな記念碑?
そんなありふれたものじゃないことは、植野さんが一番よくご存知なんじゃないんですか?
知ってますよね?
わたしが昨夜、恋人のモニュメントに行ったこと」
「はい、知ってますよ」
「あんな……あんな不思議なこと、どうして起こるんですか?」
「不思議なことなんて、世の中にはいくらでもありますよ。
例えばこの山の動物達の生態、植物達の生育……よくよく観察してみれば、科学で解明されてないことなどたくさんある」
暖炉の炎は赤々と燃えており、熱せられた蒸気が、老人の白髪をゆらゆらと揺らした。
この人は、どこまでも惚け抜くつもり──そんな色を見て取ったわたしの口は、そこから先の出かかった言葉を呑み込んでしまう。
目の前の腑に落ちない顔をじっと覗き込んでいた植野さんは、再び目線をモニュメントの写真に戻し、さりげなく論点を反らしたのだった。
「しかし、青銅というものは、なんとも不思議な素材ですなぁ。
真新しいツルツルの肌も悪くはないが、長い年月を経るほどに、なんとも味わい深く変色していく」
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