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窓の景色は、気づけば山あいのものへと変わっていた。
いつの間にか雪が降りだしていたことで、相変わらず白一色の無の世界にも、静かな動きが加わっていた。
降りしきる雪のスクリーンの中に、考えたくなくてもあの人の顔が、声が、ちらついている。
その笑顔が、優しい台詞が、雪のような冷たい痛みを伴って、胸に突き刺さっていく。
無理にでも、あの人の辛い表情を思い出してみた。
わたしと離れたあの人は、今あんな顔して苦しんでいる──
今のわたしと同じように、思い出に浸って泣いている──
そんな都合のいい妄想は、すぐに別の女の顔に掻き消されてしまった。
あの人とあの女と、幸せそうに腕を組んだその背中が、振り返る素振りもなくわたしから遠ざかっていく。
視界が滲み、空も大地も地形もない、ただ濁った白色の中に、
いっそのことわたしの存在自体も、埋もれて消えてしまったらいいのに──
「ほらお客さん……ティッシュ使って下さいよ」
後部シートにポンと箱ティッシュが置かれた。
数枚を引き抜く擦れた音に、運転手の低い声が重なる。
「俺だってね、こう見えても忘れられない別れの1つぐらいあるんですよ。
身悶えて、酒に溺れて、自分の全てを否定したくなった。
でもね、もし叶うならば、もう一度だけ彼女とゆっくり話してみたい……そう思うことは今でもたまにあるんですよ」
「運転手……さん……」
「もし本当に会えるのなら、会ってみたらいい。もしかしたらそれは、過去にすがるんじゃなくて、今のあなたに必要なことかもしれないから。
ほら、あなたの泊まるペンションが見えてきましたよ。
あなたが昔の恋人に会えるのを、お祈りしてますから」
「こんなファンタジー、信じてないくせに……」
「はい。でも、あなたの未来は信じてますよ」
バックミラー越しの彼の目が、その時初めて笑ったように見えた。
タクシーが向かう丘の上。
寒々しい白ばかりの世界の中に、ポツンと1つ。
温暖色の家があった。
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