赤い染み

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「雪絵さん、それっていくらなんでも。」 「リアル過ぎるって言いたいんでしょう。今 風に言えばビジュアル的っていうの?」 雪絵さんが笑った。 「冗談じゃないわよ。でどうしたの。」 「洗濯機に他のものと一緒に洗いたくなかっ たから手で揉んで洗ったわ。」 「手で?雪絵さんが?」 「うん。」 「やだ、気持ち悪い。そんなものなんで捨て なかったのよ、ていうか口紅のと一緒に証拠 として弁護士のところに持っていけばよかっ たのよ。」 雪絵さんは両方の手のひらで麦茶のタンブラ ーを包み込んで、それを見つめながら言った。 「なんていうのかな。富永のね、他の女の人 の血のついたパンツをちゃんと洗いたかった の。真っ白になるまで、意地でもきれいに洗 いたかったのよ。そうしないと私自身が嫌だ ったから。」 雪絵さんはそう言ってまた笑った。 「可笑しいでしょう。」 私は雪絵さんを見ていられなくて洗い物をデ ィッシュ・ウオッシャーに並べ始めた。六十 過ぎた夫婦にも男女の嫉妬という感情が存在 すること、雪絵さんが、泣きながら血の付い たパンツをごしごしとこすり続ける姿が頭に 浮かんで、何か見てはいけないものを見せら た気がして、雪絵さんに対し、猛烈に腹が立 って来た。  そんな私の顔を見て、雪絵さんが続けた。 「富永が本の間にね、紙を挟んでいたの。」 「紙?」  「そう。本は失楽園。笑っちゃうでしょう。 その本の最後のページのところに挟んであっ てね、富永の字でこう書いてあったの。初め て知った真実の愛。」  雪絵さんは立ち上がると大きく伸びをして、 広い家って気持ちいいわねと言って、スカイ ブルーの水を湛えるプールを窓越しに眺めた。  三十年も連れ添って、突然の裏切りで未来 が消えるというのはどんな気持ちなのだろう か。私は、深夜にテレビの画面が短いお知ら せのテロップひとつでざーっという雑音の雨 に変わる、不快な音に耳を塞ぎたくなる、あ の感覚を想像した。  雪絵さんみたいに終わらせることの出来な い修羅場や女としての屈辱と、未来への恐怖 を天秤に掛けたらどちらのほうが重いのだろ う。  六十を過ぎたら未来と言う言葉はもっと具 体的に余生と言う言葉に置き換えられるのだ。 老後、庭を眺めて、お爺さんとふたりでのん びり蕎麦なんか啜り、昔話をする。マンショ
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