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その頃、家は板橋区の小茂根にあって、父
の会社があった新橋から毎週土曜日に(当時
は週休二日ではなく、土曜日は「半どん」だ
ったのだ。)銀座に出て家族で外食するのが
習慣で、いつも池袋からタクシーを拾ってい
た。母と池袋のデパートで買い物をする時も、
帰りはタクシーに乗った。私はタクシーに乗
るといつも外の景色を眺めていたから、頭の
中で道順をなぞれば必ず帰れる、タクシーで
十分だから、歩いても1時間はかからない、
楽勝だ、そう思えた。
けれど車窓からの早い景色と、歩いて見る
スローな景色は距離感を狂わせ、見慣れたは
ずの建物までもが違って見えた。楽勝だった
はずが、途中で迷子になり、どんどん知らな
い景色が増え、にっちもさっちも行かなくな
った。当時、携帯なんてサイエンスフィクシ
ョンにしか登場しない時代たったから、意を
決し、向かいから歩いてきたふたり連れのお
ばさんに頭を下げ、十円借りて(実際は貰っ
たわけだけど)自宅に電話をかけた。日曜日
だったせいか、電話に出たのは父で、言われ
た通りに電柱の住所を告げてから十五分くら
いで父がタクシーで迎えにきてくれた。それ
まで怖いとか、座り込んで泣き出すというこ
ともなく、なんとかなると信じていたし、実
際なんとかなったのだ。
それから三十年以上後になって、兄と母と
3人でお茶を飲んでいるときに、突然その話
が出てきて、
「本当に麻耶子はぐずだから。」
と母が笑い、
「いや、それよりさ、母さんも八歳の子供を
公共の場所に置き去りにするって、ちょっと
すごいよなあ。」
と兄が今更のように呆れた。
母は兄の言葉に悪びれる様子も無く、
「ぐずぐずしてなかなか出てこないから。」
と私の頭を小突いた。今考えるとても不思議
な気がする。母があの時、私を代々木ゼミの
教室に置き去りにして帰宅したとき、父がパ
ニックになったり、母と言い争いになって大
喧嘩になったりしなかったんだろうか?迎え
に来た父はとても穏やかな笑みを浮かべてい
たし、帰宅しても父と母は普通に会話を交わ
し、家族揃って、いつもと同じ平凡な日曜日
の午後を過ごし、いつもどおりに夕飯のおか
ずが並べられた暖かい食卓を囲み、テレビで
「サザエさん」を観ながら食事をした。
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