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外観にも、インテリアにも全く無頓着だった
から、その反動だったんだろうか。だからと
言って、どうしてもっと家の飾りつけにこだ
わらないんだろう、などと考えたことは無か
ったと思う。概ね幸せな子供時代を過ごした
という記憶しか残っていない。
引き続き、記憶の話。
子供の頃、よく母とふたりで出掛けたこと
は覚えているのに、その時の様子が思い出せ
ない。記憶の断面に、母の白い日傘に描かれ
たグレイの花模様だとか、生まれつきだとい
う母の少し茶色い、パーマのかかった髪の巻
き具合や小さくて綺麗な横顔、黒いヒールの
パンプスなどが、光っては消えて脳裏を通り
過ぎていく。幼い記憶は私の中で、ジグソー
パズルの断片みたいに、ひとつひとつのピー
スは鮮明なのに、全体像が浮かばない。それ
でも私は小さなパズルのピースから、思い出
の風景を再構築する。思い出というものは、
そうやって自分に都合のいいように、偽のピ
ースを後から足して作り出してしまうものな
のかもしれない。すとんと抜けた記憶を時代
の違う自分が後から貼り付けていることだっ
てあり得る。外的損傷が理由では無い記憶喪
失という病気があるのなら、小さな出来事を
ホワイトアウトで隠して、その上から書き直
すという作業を無意識にしていることがあっ
てもおかしくないのだ。思い出が全部真実で
あるという証拠は何処にも無いし、誰にもわ
からない。思い出は人々の記憶の一部だし、
それが思い込みで無いと誰が断言できるだろ
う。
そして両親が亡くなってしまった今は、記
憶はもっともっと自分の都合のいいように塗
り替え続けられているのかもしれない。嘘を
つき続けているうちに、嘘と真実の境目が曖
昧になって、嘘を真実だと思い込む人たちが
実際に存在するように。
母との思い出は無声映画みたいだ。たくさん
の映像が次から次への浮かんでくるのに、母
と交わした会話の内容が思い出せない。話を
しなかったわけではない。一緒に何回も旅行
にも行ったし、離れて暮らすようになって長
電話もたくさんした。でも、いったい何を話
したのか、見当もつかない。それでも、いつ
でも電話ができる、いつか会えるという当た
り前のことが、現実から突然消えてしまった。
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