寄り道

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ている。どちらにしても、母の小さな身体を 癌が支配し、のっとってしまった。映画で観 たエイリアンが人間の身体を栄養にして育っ ていくように。  火葬を終え、私と兄でお骨をひとつずつ拾 い上げた。痩せ細った母の骨はスポンジみた いに小さな穴がいっぱい空いていて、珊瑚の 死骸みたいだった。先ほどの係員に、加齢に よる骨粗しょう症ですよ、と告げられたが、 私には癌が骨の髄まで栄養を吸い取ってしま った結果に思えた。そして母を葬ってしまう と、なぜかすっきりとした気分になった。事 実を目前に提示され、認めるしかなかったか らかもしれない。そしていったん受け入れて しまうと、涙は乾き、悲しみも消え、そのま ま日々の生活に追われ、母に会えないという 日常がごく当たり前になっていった。  どうして今になって、そんなことを思い出 しているのだろう。 母の一周忌が終わり、本当の悲しみは唐突に やってきた。携帯のメモリーの母の番号に知 らない男性が出たり、母の残した被服から母 の匂いが消えて黴臭い匂いに変わり、引き出 しの中で母が残した写経用の筆ペンの先が干 からびていたり、小箱に電池の切れた時計が 見つかったり、母の知人からの手紙の束が黄 ばんでいたり、そういう小さな積み重ねが、 窓辺のブラインドに積もっていく埃のように、 少しずつ厚みをまして、突然、大きな喪失感 となって私に襲い掛かってきた。100パー セント無理だとわかっているのに、どうして も母に会いたくなる。幽霊として私の枕元に 密やかに座って、私を見つめるだけでもいい。 夢に出てきてくれるだけでもいい。  それは死んだこと、この世に母がいないと いうことをようやく実感したということなの かもしれない。  母を燃やした日、私は確かに事実を受け入 れたはずだった。でも、それは母という固体 の存在が消えてしまったという物理的な事実 で、腕や足を切断されても幻肢を感じるよう に、私の脳は母の死を受け入れず、悲しみを 閉じ込めていたのかもしれない。だから次の 日に友人とお茶をしながら、笑みを交えて母 の死を穏やかに語ることもできた。けれど、  母と話すことも触れることも出来なくなった、 一年という年月に少しづつ積もった想いが、 今になって私の上に雪のようにしんしんと舞 い降りてきた。とっくの昔に受け入れた事実
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