第1章

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気がつくと、 安曇(アズミ)は暖かい腕の中に居た。 耳元でとくとくと脈打つ、自分のものではない鼓動。 包み込んでくる温もりがあまりに心地よくて、目覚めはしたが思考が回らない。漆黒の瞳は見開いたものの、まだそこに映るものの意味を掴めていなかった。 「……目が覚めました?」 優しい囁きに誘われてゆっくりと視線を上げれば、声の主に抱きしめられているのだと知る。覗き込んでくるのは、金茶の髪に鳶色の瞳の自分と同じ年頃の青年。 厚めの唇が開く。 「良かった、気がついて」 その顔にぱあっと広がった太陽のような笑みの眩しさに打たれて、はっと安曇の思考が焦点を結んだ。 「――あ」 身じろいだ途端、肌が直に触れ合うのが意識に上った。毛皮にすっぽりと包まった青年と自分の身体が、お互いに一糸も纏っていない事に気づいた安曇の顔が熱くなる。 反射的に相手の胸に突っ張った手を、青年が優しく取った。 「指も暖かくなってきましたね」 握られた指先を相手の頬に押しつけられて。自分の置かれている状況が理解できていない安曇の面が、困惑と羞恥に動揺した。 そんな彼を安心させるかのように青年が口を開く。 「雪の中に倒れているのを見つけたときは、どうしようかと思いました」 ――そう、だ。 言われて安曇の記憶が甦る。吹雪の山中で道を失って、供ともはぐれたのだった。 「あなたの乗っていた馬はだめでした。可哀そうだったけど、脚、折れていたし……俺一人じゃ連れて来れなくて。積んでいた荷物は持ってきましたから」 「……君は?」 安曇の唇がようやく動く。 「俺はこの森の番人です。 藤間(トウマ)って言います」 「黒の森の……」 言ってしまってからしまったと思った。 「――常盤の森の」 慌てて言い直した自分を明るい鳶色の瞳が見つめる。 「黒の森、でいいですよ」 気にしないでと小さな笑い。 常盤の森は、安曇の父親が治めている領地からその隣の領地にまたがる広大な森。滅多な事では人が足を踏み入れることのないそこは、恐怖と畏れをこめて『黒の』森とも呼ばれていた。 「……俺、は」 「知っています。安曇のご領主の若様でしょう?」 え?と漆黒の瞳が瞬いた。藤間と名乗った青年の表情が、微かに揺れる。 「ええと、若い女の子とかが良く噂してるから……安曇の若様がステキな人だって」
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