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昼休み、素直に打ち明けてみれば、彼女はやけにあっさり別れてくれた。
「元春クンの本命は直子ちゃんだってわかってたから」とまた誤解されたけど、こういう場合になにかと都合がいいので今回も訂正はしなかった。
待ちに待った放課後は、例の日舞教室に行ってみることにした。同県内にあるということに運命を感じながら、XJR400Rに跨がる。エンジンをかけるとタコメーターの針がクンと触れ、俺の心臓もキュンと高鳴る。恋に似ていると思う。愛も恋もまだよくわからないけど、たぶん、そうなんだと思う。
暮れかかった街並みを柔らかに照らす街灯り、赤信号、歩行者信号から流れる「故郷の空」は調子外れにひび割れている。そのメロディに横断歩道を渡る白杖の高らかなリズムが刻まれ、路地裏からは廃品回収車の舌っ足らずなロリ声が響き――それらを内包した風が、速さの世界から俺を解き放ってくれる。
ひとたびレースが始まれば、単気筒250CC4ストロークエンジンが生み出す時速二百キロオーバーの世界、風の中の風のない世界。流れて溶け合うサーキットの背景に飲み込まれ、ただ一点の視界に縋りつくその一瞬、俺はここに存在していないのではないかと錯覚する。
ただひたすらに追い求めていた速さにいつしか追い立てられていて、分割されない一秒の世界に帰りたいと一心に願うのだ。
残暑の夕焼けに背中を焼かれ、つぎつぎと乗用車や単車に追い抜かされながら、当てつけがましく法定速度で走り、行き着いた日舞教室に彼の姿はなかった。
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