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鶴が鳴いた。
もう、潮が引いたのだろう。
淡い藍の美空を見上げ、『昌平』は物思いに耽った。
「おうい、はよ持たんか」
と、後頭部めがけ、拳が振り下ろされた。
現世に引き戻された昌平は、申し訳ございませんと頭を下げ、背中の持つ酒瓶を手にした。
昌平は、徒士である。
藩士・『袖依是助』のもとに仕えている。
日常が、厭になっていた。
藩士というブランドを持ち、それを横柄な態度で貪り食う。
奴といると、苛苛した。
これも忍耐を鍛えるものなのだろうと。
士道を志したる者の課された関門なのだろうと。
心に思っていた。
袖依は、酒臭い口をねっとりと開けた。
「ところで、おでん屋におる娘」
あァ、『お香』とかいう─── と徒士のひとりが云った。
「あれはよいぞ」
「たしかに、気立てよく、なかなか物腰やわらかな」
「連れだし、花を摘んだ」
「・・・は?」
「櫛も買うた。簪も買うた」
どどど、と世界が曇った。
身にまとう気が、そのまわりを曇らせたのだ。
「───」
「やわらかよのぉ、女の肌は」
「と、申されますと。まさか」
「おうよ。───喰うた。喰うてしもうた」
ぐはははは、と嗤った。
「な、なんとうらやましい」
徒士の一人も、眉をゆがめながら袖依を持ち上げた。
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