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敷居を跨ぐと母は僕に引き戸を閉めるように小声で言った。僕は左手で引き戸の取手に指を入れて閉めたが、やっぱり同じところでキイーっと音がした。僕は引き戸を閉め終わると母を見た。母の表情は固かった。
「こんばんは・・・・」
母は奥のほうに向かって言った。細いがよく通る声だった。
「はーい」
少し間が空いて遠くから返事が聞こえた。女の人の声だった。
「いらっしゃいませ」と言いながら姿を現した人は母を見ると「あら、お久しぶりですね」と言った。見る限り、至って普通のおばさんであった。
どこか勝手に想像していたものとはかなり違った。真逆に等しかった。
此処に来る間にもくもくと膨らんだ期待は一瞬にして萎んで、それと引き換えるように興味もたちまちの間に見失うように消えてなくなった。
「ご無沙汰してました。お元気でしたか」
「ええ、何事もなく元気に過ごしてますよ。そちらもお元気そうで何よりです」
え、知り合い?なんで?
僕は二人の顔を交互に見た。何度も見た。だけど、普通だった。何が普通かと言えば、特に不思議な雰囲気も無く一般的普段の会話の表情みたいだったからである。
一応、母に知り合いだったのかと聞こうと思ったが、口を挟んでもいいのかとか考えていたら言葉が喉の奥のどこら辺りかにつっかえて、そのうちに消えていった。
ならばと思い、向こうから見えないように母の赤色チェックシャツの背中を摘まんで軽く引っ張ったが、「こちらへどうぞ」というタイミングを欠いた言葉に置き去りにされて、仕方なく母の背中に重なるようにしながら奥へとついていった。
気になっていた仕切りがすぐそこにある。
緊張などする間などない。もう目の前なのだ。あと二歩も足を前に出せば、あの裏側の全てが解ることになる。誰にも聞けなかったものがついに僕の手の中に落ちるのだ。
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