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「直太朗。」
「はい。」
父に名前を呼ばれるのはいつぶりだろうか。
「今回の縁談はお前を思い、良かれと思って進めた話だった。」
「それはどういう事ですか?」
「会社の経営が危ないと言うのは嘘だ。」
「ほ、本当ですかっ。あっ、ごめんなさい。私ったら余計な事を。」
つい、声が出てしまった彼女が小さくなって謝る。
「それで、どういう事ですか?会社は危なくないのですか?」
「確かに新しく始めた事業が実は軌道に乗っていないのは本当の事だ。しかしそれくらい乗り切れるほどの余力は十分に持っているつもりだ。」
「そうだったんですか。だとしたら何よりですが、益々、僕の縁談との関係が理解出来ないのですが。」
父は「煙草を吸っても?」と彼女に断ると一本取り出し深く吸い込んだ。
父が煙草を吸うなんて知らなかった。
僕達親子は何もかも知らないことだらけだ。
「お前を引き取ったのは確かお前が5歳の時。子供が出来なかった私はもしや、と思いお前の母親と接触したのだ。」
「はい、そのように聞いています。そして母にも丁度、新しい恋人の存在があった事も。」
どちらにとっても都合の良い話だったはずだ。それなのに父からの意外な言葉に驚く。
「恋人はいなかった。」
「どういう事です?僕も子供ながらに覚えています。母が見知らぬ男と会っていた事を。」
5歳の記憶とは言え、ハッキリと覚えている。
だから母に取って僕は邪魔な存在でしか無かったのだと後々気付いたのだ。
「その人はお前の母親に仕事の話を持ち掛けた人だ。つまり、ビジネスとしてお前の母親に会っていたそうだ。」
思いもしなかった話を聞かされ、隣に彼女がいる事も忘れそうになる。
「課長、大丈夫ですか?」
僕の隣から掛かったその声で何とか平静を保てた。
「では何故、母は僕を手放したのです?何れにしても僕の存在が邪魔でしかなかったという事ではないのですか?」
「彼女なりに苦しんでいた。ホステスをやっていた頃の客に新ビジネスを持ちかけられたもののその話を受ければお前を犠牲にしかねないと。悩んでいた時、私が引き取りたいと連絡を取ったんだ。」
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