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「ぶぁくしょい!!」
シンガポール中心街にリニューアルされた近代的なオフィスに、今日は朝から大音量のクシャミが何度も響きわたっていた。
「あれーーー? 長谷川さん、風邪ですかぁ? めずらしいですね」
新人の現地社員達は、こわおもての長谷川にあまり近づいて来なかったが、多恵だけは相変わらずの猛獣使いだった。
「ああ。5年ぶりにひいたよ。風邪」
「いやん、かわいそうーーー。せっかく日本に帰ったって言うのに、リクさんや玉城先輩とも会えず、風邪だけひいて帰って来ちゃうなんて、ついてないですねえ、長谷川さん」
「ツイてないかねえ……ぶぁくしょい!!」
眺めただけだったので、リクの家に行ってきた事は多恵に話していなかった。
「ツイてないですよ。もう日帰り出張なんて断っちゃったほうがいいですよ。私はその都度頑として断りますもん。……あっ、もう、また詰まっちゃったわ、このオンボロ!」
多恵は、再三紙詰まりを起こすコピー機を乱暴に蹴飛ばしながら、長谷川をねぎらった。
―――そうだよ多恵ちゃん。あんたが頑なに断り続けたおかげで、この私に今回の日帰り出張が回ってきたんだ。
けれど長谷川の気分は、それほど悪くは無かった。
くしゃみは止まらないし、微熱も少々あったが、何故かこの風邪が愛おしくすら感じた。
もう少し飼ってやっても良いかもしれない。
「いや、わりとツイてたよ」
「え? 何がですか?」
「いろいろさ。結構ついてた。なかなか良い日帰り出張だったと思うよ……っくしょん!!」
くしゃみのあと再びニンマリと笑う長谷川に、多恵は不思議そうに首をかしげた。
(END)
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