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その風変わりな店は、坂の半ばにあった。
坂の上には大学がある。
坂の下には住宅地と、その端に下町が続いている。
海と山に挟まれた土地。外国人居留地のあたりの屋根は坂の上からもすぐにわかった。
私が坂を上るのは家業の弁当屋が大学に出前を運ぶ時ぐらいだった。店の車に父と肩が当たるほどにぎゅうぎゅうに乗って、膝に弁当を抱えていた。
海から続く坂道は山を縫うようにジグザグで、自転車で落ちるように下ってくる学生さんが時折居るので、いつもノロノロ運転だった。古い車はエンジンがうるさかった。
曲がり道を繰り返し、ぱっと視界の開けた先に青が見え、空と海の溶ける線が好きだった。父が機嫌の良いときはそこで車を止め、一服した。
坂の途中の店を見下ろす位置。店は大きくないのだけれど屋根に蔓が伸びていて絵本で見た森の魔女の小屋に似ている。変わった匂いがして、いかにも大人の行くところという気がした。焼けたような匂いだなあと思ってたら、それがコーヒーの匂いなのだと父に後で聞いた。
父から見ればそんな店に出入りする若者が気取っているようで、面白くなかったようだ。
私からは、みんな立派な大人に見えた。静かにさざ波のように会話しているように見えた。
薄暗い店内を横目に見て、通りすぎていた。
冬に見かけた、肩の角ばった仕立てのコートを着た青年達は賢そうだった。自分や兄とは違う層の人だと思った。ああ、寒いな、と白い息を確かめるように青年達が笑い、二、三人が連れだってまた大学に上っていった。マフラーを襟元に差し込んでいた。
あの人たちはまた学校に戻るのかと思った。
子供は学校が終わったら今日は何をしようって考えながら帰るものなのに。手伝いをして、ごはんを食べて、お風呂とあとは寝るだけ。勉強なんて学校だけでまっぴら。
あの人たちはなりたいものがあるんだろう。学者さんとか、偉い人。
うちの兄は多分弁当屋を継ぐだろうな。
そういうことだ。
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