7人が本棚に入れています
本棚に追加
「いらっしゃいませ」
自動ドアを潜って入ってきたブルーグレイのスーツ。長身で姿勢のいい歩き方と、後ろに流した少し癖のある明 るい色の髪。
――あの人だ。
いつも夜に来ることの多いその人。午前中に来るなんて、珍しいな。
昼休みにはまだ早いし…… 何している人なんだろう?
そんな事を考えながら。新刊が平積みにされている棚をざっと眺めた後で、その奥へと歩いてい く背中を目で追った。
俺が勤めているのは、深夜まで営業している大型書店。店の位置が繁華街から近いこともあって 、お客は日が暮れてからの方が多かったりする。
彼がこの店に来るようになって、三ヶ月になる。珍しく雪が降った晩だったから、良く覚えている。
入り口の床が濡れて危ないから、モップをかけていた。
自動ドアから入ってきたあの人とぶつかりそうになって。濡れた床で脚を滑らせかけた彼の腕を掴んだんだ。
『すみません!大丈夫ですか?』
『――あ、ええ』
見張った瞳の色が綺麗な茶色で、男の人だっていうのに、ほんのちょっとだけ見蕩れたっけ。
「これ下さいな」
目の前にぱさりと置かれた女性雑誌に、物思いから醒める。
「青羽(アオハ) くん、どうかした?ぼーっとしてるわよ」
顔なじみの女性客は、近くの主婦。きれいにセットされた髪が揺れている。相変わらず隙のない化粧っぷりはお見事と言う他ない。
「あ、いえ……いつもありがとうございます」
レジを打って雑誌を紙袋に入れる。
「ね、今度のお休み、いつ?この間の料理講習会みたいなの、またやってくれない?」
カウンターに肘をついた彼女が身を寄せてくる。隣でレジを打っていた先輩スタッフが、微かに眉を顰めるのが分かった。
「勤務中ですので……320円になります」
にっこり笑って包みを渡す。彼女が赤い唇をちょっと尖らせた。
「……じゃあ、後でメールするわね」
ひらひらと白い手を振って彼女がドアに向った。
最初のコメントを投稿しよう!