第1章

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いきなり怒鳴りつけられてびっくり目になる。 「ナイフを持っている相手に、不用意に近づくんじゃないッ!」 ずかずかと歩み寄ってきた多紀さんが、俺の左手を取った。そこで初めて掌から血が滲んでいる ことに気づく。 「勇気と無謀は違う」 険しい顔をしたまま、多紀さんが取り出した白いハンカチで手を縛った。 「駐車場に戻った時に本部から緊急連絡があった。慌てて戻って来てみればこれだ。民間人が危 険な真似をするんじゃない。テレビドラマとは違うんだ。」 「でもあの」 やっと口を挟む隙を見つけて、俺が言った。何だ、と厳しい眼差しが見返してくる。 「多紀さんが危ないって、思ったら……勝手に身体が動いちゃって」 良かった、無事で、と呟くと。明るい茶色の瞳が一瞬だけ見張られた。 ひどく無防備な表情に、 心臓がどくんと鳴った――次の瞬間には、またしかめっ面に戻ってしまったけど。 「……裏に救急車が来ているから、診て貰うといい。あとで事情聴収にも協力してくれ」 それだけ言うと、多紀さんは身を翻して出て行った。 「青羽くん、夕べ大変だったんだって?」 よく日、いつもの主婦がカウンターに寄って来た。 「新聞で見たわよ。犯人、他のとこで人を刺してたんだって?」 「そうみたいですね。たまたま刑事さんが来ていて、助かりましたよ」 「それ、名誉の負傷?」 左手に巻かれた包帯を見て、彼女が言う。 「……どっちかって言うと、不名誉の負傷、かな」 多紀さんの怒鳴り声を思い出して、俺は言った。 手当てをしてもらった後の事情徴収で、多紀さんに会えるかと期待していたけど。結局昨日は あれっきり会えずじまいで。 彼の怒った声だけが、苦く記憶に残っていた。 「いらっしゃ――」 数日後の夜、自動ドアを潜ってきたのは多紀さんだった。こちらには目もくれずに書棚の奥へと 向かっていく。 その険しい横顔に、溜息が零れた。
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