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ひっ
『それ』が店に入って来たのを見た瞬間、私は出かけた悲鳴を寸でのところで飲み込んだ。
来店したのは人間でも鬼でもなかった。
私の知る、どんなものとも違っていた。
どうしても例えろというならマネキンが一番近いように思う。
ヒト形をしているが顔は無い。全身が生成色で、だけどその存在は不確かで、おぼろげだった。
影は席に着く。
シムは料理を提供していく。
料理を食べる影と、それを見守るシム。
静かな店内。
その流れるような一連と私は完璧に無関係で、まるで外野から良く出来た無声映画を見ているようだった。
料理はフルコースだ。
店内には勿論BGMなんて無粋なものは掛かっておらず、時折カトラリーの触れる音がするだけ。
顔が無いのにどうやって食べているのか気になったけれど、カウンターが邪魔で見えなかったし覗き込む勇気は無かった。
この時間が一体どういう意味を持つのか分からなかったけれど、影にとってこの食事がありふれた日常の1コマではなく、特別な物なのだと何故か思えた。
影の体は食事を進めるごと浄化されていくように、どんどんと白くなっていった。
そしてデザートまで食べ終えると、その身は目映く発光し始めた。
影は、とうとう店を出ていくことは無かった。
綺麗になった皿と1つの客席を残したまま、
私の目の前で霧散したのだ。
客の居なくなったカウンターは、透明な雫で少し濡れていた。
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