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「先生」
「あー」
私が呼びかけると、病的なまでに青白い顔がこちらを向く。アイスディッシャーでごっそりと削ったかのような?せこけた頬、化粧を疑うほどの濃いクマ、明らかに血色の悪い薄い唇。すべてが不健康というレベルを軽く超え、学生の間で「死神」というあだ名で呼ばれているくらいの弱弱しいその容姿は、症状の重い患者と間違われても科学者を彷彿とさせることはまずないだろう。残念ながら彼こそが光物性の碩学であり私たちの研究室のボス、辻崎准教授その人である。
「あの、先生がこのあたりで倒れているって聞いて……」
「うん。そうらしいね」
「らしいって……」
「ええっと……そうだなぁ……説明がめんどくさいなあ」
物理学科の死神は眠そうに目をこすって、口から魂が漏れ出てしまいそうなくらいの大きな欠伸をひとつした。よく見ると額に血をぬぐったような痕跡があるし、シャツもところどころ飛沫した血で汚れている。これじゃあ、死神というより死神に魂をとられそうな人だ。このまま目をつむって横になったらきっと死人にしか見えないはずなので、きっと先生が倒れているところを目撃した人は焦ったに違いない。
「えっと……気付いたら、ここにいた」
思いっきりはしょって、先生はそれきり口を噤んでしまったが、この程度で10を知れるほど私の洞察は鋭くない。
「先生、血、出てますけど」
「うん。知ってるよ」
「怪我、されたんですか?」
「それも、気付いたら、こうなってた。なにがあったんだろうなぁ……」
「だからさ。病院行こうよ。病気なんだって。知らないうちに犯罪とかしちゃうかもよ」
「うーん。それは困るなあ」
辻崎先生は確か准教授に昇格したばかりで、ほかの教授陣より年齢的にも若くそこまで権力がないという。かといってドクターの学生にタメ口をきかれる筋合いはないと思うのだが、先生は日向先輩の無礼を意に介する気配はない。変人ドクターに病弱教授、この個性的すぎるキャラクターがこの数年でどんな関係性を築いてきたのか、私には想像することができなかった。
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