2.瞬間移動

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「その、人格が交換するときの条件とかってあるんですか?」 「ない。突発的。けど、痛い思いをしたら交換することが多い。今日も午前中に階段でスッ転んで以降の記憶がないから、そこで入れ替わったんだと思う」 「それ、怖いですね……今日は時間で言うと何時から何時までの記憶がないんですか?」 「正午くらいから十三時ごろまでかなあ。どうもそのあたりで倒れていたみたいで、知らない人にさっき起こされた」  先生は、枯れた老人のような細い指を図書館の前の広場に向けている。大崎先輩もきっとここで先生を見かけたんだろう。ちなみに先生が倒れていた図書館広場は、今話題に上がっている大学生協の北店舗と南店舗の二点を結ぶ線分のおよそ中間地点に位置している。 「なるほど」  つまりまとめることこうなる。  今日の十二時に階段で転んだ先生は人格が入れ替わり、生協で恐らくお昼のお買い物に行った。そして何らかの方法で南店舗と北店舗の生協でアイスコーヒーとパンをそれぞれ購入した。そこでまた何らかのアクシデントがあって道端に倒れ、もとの人格に戻った。彼に残されていたのはほぼ同時刻に購入したと訴えているレシートが二枚と微妙に会わない釣銭。 「そういえば、購入したパンとコーヒーは? 手元にないんですか」 「ない。あるのはこれだけ。食べちゃったのかなあ」  先生はベンチの下からビニール袋を引っ張り出して、それを私の眼前に掲げた。中に入っていたのは、くしゃくしゃになった薄い紙と空っぽのプラスチックのカップだった。それはパンを包んでいた紙とコーヒーが注がれていた容器に違いなかった。 * 「じゃあ先輩。私は北の店舗に行ってきますから、南のほうをお願いします」 「えー。もう寒いし帰りたいんだけど」  上下ジャージ姿の先輩は仰々しく背中をまるめて、駄々をこねる子供のように口をとんがらせて言う。いまの時期、猫のニュートンでさえこたつで丸くならないのに、色素だけじゃなくて肌も薄いらしい先輩はこのていたらくである。
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