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その奇妙な店は、僕を「お帰りなさいませ、ご主人様」と出迎えた。 初めて入店したにも関わらず、だ。
「ご主人様、ですか」
僕が苦笑いで返すと。
「昔は流行ったんですよ、この挨拶。メイド喫茶っていいましてね」
こちらへどうぞ。現れた女性は静かにほほ笑んだ。
黒を基調とした給仕服を着つけた女性は、突き当りの長椅子に僕を誘導するとカウンターを挟んで向こう側に立った。年齢は40代だろうか。背筋はしゃんと伸びていて、肌にはまだハリがある。二の腕のあたりまで伸びた黒髪は後頭部で縛っていた。
昨日は飲みすぎたようだ。記憶が全くない。
ある土曜日の昼下がりに、家にいても酔いがさめなかった僕は目的もなく靴を履き、あてもなく街へ出た。目についた方向をたよりに歩き続け、足元の石ころを蹴飛ばしながら。
人ごみを抜け、大通りを通過し、商店街を横切る。3車線はいつの間にか1車線になって。
視界のぐらつきも収まり、足の裏も痛くなってきたあたりで、名前も知らない通りに差し掛かった。建造物の影が不揃いに列をなす端っこで、肩をすぼませるようにぽつりと立っていた喫茶店だった。コンクリート造りの外観に何層にも重ねたペンキ跡は妙に痛々しく、建造物と経営破綻の歴史が見て取れた。
そこでイメージしたのは、積み上げられた遺骨の上にそびえたつ墓標。
死屍累々の上にこのお店の基礎はある。なぜかそう思った。
看板の文字は「ふたこ」。漢字で書いて二子、だろうか。
冒頭の「奇妙な店」という点についての言及に戻る。
内装は想像していた通りに、想像を超えた異質を抱えていた。
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