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その後戦国の日本は、尾張の織田信長が桶狭間で今川義元を倒したことによって形勢が大きく変わってゆく。
結局、竜兵衛が仕えていた主家は時代の激流の中で滅ぼされ、忍見一族は浪人の身となったが、松平元康の家来・小栗吉忠にその身を拾われた。
新たに就いた主君は後に歴史に名を残す男になるのだが、その事は竜兵衛も、小栗も、これから徳川家康と名乗るつもりの松平元康もまだ知らない。
竜兵衛はそれから何度も合戦に出ては、持ち前の武勇と剛腕で存分に活躍した。しかしながら、あの時、敵兵をして恐れ慄かせしめた笑みを浮かべることは二度と無かった。日常で盛大かつ豪快に笑うことは多かったが、あの不気味さは一度きりだった。
そして、竜兵衛は天命を全うした。
彼が亡くなった際、体を焼いたらなんと両頬の骨が大きく窪んでいた。二発の弾によるものだと簡単に推測はたったが、興味深かったのはその骸の顔だ。
おかしな所に窪みができてるものだから、まるで笑っているように見えたのだ。
身内の人らは「骨になっても笑うなんて呆れたもんだ」などと言って丁重に彼を葬ったのだった。
さてそんな竜兵衛の生きた晩年、彼が息子と昔語らいをしていたら合戦の話題になった。息子はふと思い出した話を持ち掛けてきた。
あの日、宿敵との死闘の際になぜ笑っていたのですか、と。
竜兵衛は息子の話に何度も何度もうなずいて、少しだけ苦笑しながら答えた。
「覚えておるぞ。いやはや、そんなこともあったかのう」
「教えてください、何を考えてあのとき笑ったのですか」
「なんの、初陣を迎えた倅のことよ」
息子の前でまぬけにやられてたまるか。と、この武辺者は照れながら厳つい顔を緩めつつ、ご機嫌よろしく破顔した。
***完***
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