睡蓮抄

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「……どうして私の名前を?」 「俺が言ったからだ。お茶はちゃんと持ってきてくれたかい?」  入り口で立ち尽くす私に仙人様は手招きをする。卓の上に茶器を並べる私に仙人様は説明を始めた。今日はよく喋る日らしい。 「こちらは旅人の雲海(ユンハイ)さん。しばらく滞在するから部屋を用意しておいてくれ。あと、普通の人だから食事の用意もよろしく」 「はい。……女中の瑞香といいます。ご用事の際はどうぞお申し付けください」  お盆を手に私は頭を下げた。彼は私が入ってきた時から片時も私から目を離さない。……なんだか少し気味が悪い。 「こちらこそよろしくお願いします」  雲海さんは言葉少なに先程と違って感情を抑えたような抑揚のない声で言った。  お客様がいるなら、と出て行こうとする私を仙人様は呼び止める。 「何のために三人分って言ったと思ってるんだい?」 「でも……」  私は思わず雲海さんの方を窺う。 「俺は別に構いませんよ」  ようやく彼は私から目を離した。そして、丁寧な物腰で茶器を手に取る。 「では……お言葉に甘えて」  そう言って席に着いたものの、空気はかなり気まずかった。仙人様はいつも通りのんびりとした口調でとりとめないことを話しているが、私は小さく返事をするだけで、雲海さんは黙って聞いているだけだった。いや、彼は仙人様の話を聞いてもいなかったのかもしれない。何の気なしに雲海さんの方を見ると必ずと言っていいほど目があった。私のことを窺っているようだった。  なんだか空気が重くて、その日のお茶の時間は休憩のはずなのに余計に疲れてしまったのだった。     * * * *
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