睡蓮抄

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 あくる日、私は小さく溜息をつきながら廊下の鏡を拭いていた。この屋敷には五十は下らない数の鏡があちこちにかかっている。当然のことながら一日で全部の鏡を磨けるわけもなく、何日か置きに同じ鏡を拭くことになる。廊下は通ることが多いので、下のほうに汚れがたまっていた。  なんだか雲海さんがきてから屋敷の空気がおかしい。どこがおかしいとは言えないが、今まではぬるま湯につかっているような、午睡を貪り、夢と現の間で微睡んでいるような心地よさと停滞感があったのだが、雲海さんが来てから急に空気に動きが見られ、風通しがよくなったような感覚がある。飽くまでも感覚でしかないのだが。特におかしいのは雲海さんと仙人様が二人でいる時。二人共微笑んでいるのに、何故か空気がぴりぴりしている気がする。  下の方を拭き終わり、続いて椅子の上にのぼって上の方を拭こうとする。しかし、考え事をしていたせいか、元々あまりのぼり易い形をしていなかった椅子が不意に傾く。 「ぅわっ」  小さく声を上げて身を竦め、目を強く閉じる。  落ちる!  そう思ったがいつまで経っても痛みは訪れなかった。恐々と目を開く。 「大丈夫ですか?」  そこには心配そうに私の顔を覗き込む雲海さんがいた。どうやら椅子から落ちそうになった私を支えてくれたらしい。 「あ、はい、大丈夫です。申し訳ありません」  慌てて身を離し、椅子から飛び降りる。 「この椅子、脚にガタが来てますね。……直しましょうか?」 「いえ、お客様にそんなことして頂くなんて……私が叱られてしまいます」  考え事をしていたため、ちゃんと確認していなかった自分が恥ずかしい。赤面性の嫌いがあるため、今も顔が真っ赤になっているだろう。それが恥ずかしくて、ますます顔に血が上っていく。 「そうですか。では、気をつけて下さい」  案外あっさりと引いてくれたので、ほっとしつつ別の壊れかけていない椅子を取りに行った。
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