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私が戻ってきた時、雲海さんはまだそこにいた。そして私が掃除を再開してからも、廊下の柱に凭れて私を見ていた。どうやら先程は引いたものの、私が心配だったらしい。心配されるほどとろくはないつもりなのに。私がよろける度に眉を顰め、手を伸ばそうとしているのが鏡越しに見えた。
何も言わずにただそこにいる。私も黙々と掃除を続けていた。存外居心地は悪くなかった。見られているのも余り気にならなくなってきた。やはり昨日は初対面だったから緊張していたのだろうか。
「変わった所ですね」
「え?」
不意に声をかけられ、思わず振り返る。その際に椅子から足を踏み外しかけ、彼はギョッとした顔で柱から背を浮かした。私がちゃんと椅子の上に踏みとどまったのを見届け、彼は再び柱に背を戻した。
「続けてもらって結構です。俺はここで勝手に喋ってますから」
「えっと……変わった所って、ここがですか?」
「霧と蓮に覆われた大きな湖の中央に建つ屋敷。出入り口もない、霧と蓮に囲まれた密閉空間。なかなかおかしな所だと思いますけどね」
そういえば……この家は母屋と東屋から成り立っているのだが、外と通じる扉がどこにもない。それにもし外に出られたとしても、蓮の葉や花が邪魔をして容易には舟も出せないはずだ。仙人様はもしかしたら雲にでも乗って出かけるのかもしれないと思っていたのだが、未だにその姿は見たことがなかった。時折屋敷のどこにもいないことがあるので、その時はどこかに何らかの方法で出かけているのだろうが。
私は雲海さんの話に興味を持ち、またそちらに気を取られて椅子から落ちないように、先に椅子から下りて彼と向かい合った。
「では、雲海様はどうやって来られたのですか? 船ではとても渡れないはずなのに」
私がそう尋ねると、彼は困ったようにどこか悲しそうに苦笑した。
「その雲海様ってのはやめてくれませんか。そんなにいい身分でもない」
その割には服装は裕福そうなのだが、私は言われたとおりに
「では……雲海さん?」
と、躊躇いつつ言った。そして続けて昨日から思ってた言葉を続ける。
「あの、お客様にそんな丁寧な言葉で喋られるのって落ち着かないのですが……」
「分かりました……いや、分かった」
ついでに、にこりと微笑まれて、気を悪くはしなかったようだとほっとする。
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