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「いいのよ。あの人は」
私はそう言って、電車の車内を見渡す。乗客は、目の前に座っているスーツを着たおじさんと小さいハートが書かれたリュックを背負っている女の子とその母親と思われる人だけだった。
あれ――。
この光景どこかで見たことがある。それもここ最近のことだったような。目の前にいるおじさんと目が合い、私は思わず目を逸らした。
あれ――また。
女の子が座席の上に膝を立てて、外の景色を見ながら、お外綺麗だねと言った。それに母親はそうねと言い微笑んだ。
どこで――。
突然、ポッケに入っていたスマホが鳴り響き、体が飛び上がった。スマホ取り出し、画面を見ると、部長と書かれていた。それを見た私は電源を切って、再びポケットにしまった。一つため息をつく。
「いいんですか? 部長からの電話」
「いいのよ……もう」
彼はそうですかと言って、どこか安堵したように息を吐いた。
しばらく、電車に揺られた。気づけば、目の前にいたおじさんもハートのリュックを背負った女の子とその母親もいなくなっていた。私と彼だけしか乗っていない電車は、がらんとしていて落ち着かない。ましてや、すぐ隣に彼がいる。
「や……」
彼の声と電車のガタンという音が重なり、よく聞こえなかった。
「えっ、なんか言った?」
「いいえなんでも……それより、桜がきれいですね」
私は彼の声につられて外を見た。その瞬間、澱んでいた世界に光が灯り、万華鏡のように世界を一変させた。私の世界にイロが灯された。そして、私の中に閉じ込められていた記憶もふと蘇った。
そうだ。また、ここへ戻ってきてしまったのか。そういった漠然とした後悔の念が私に湧いた。
彼の言う、桜はどこにも見当たらなかった。私がまだイロを見えていなかったら、そこらへんにある木を見て、そうだねと言っただろうか。ゆっくりと、息を吸って吐いた。
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