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渡されたシャツはLサイズ。上背のある笹原には妥当なサイズだろうが、まだ成長期のさなか(と思っている)の岬には明らかに大きい。しかも長袖だ。
体育の無い今日はジャージも持っていない。どうしようもないので与えられた黒シャツに袖を通した。制服とは違う感触の生地に、淡くフルーツのような香りが漂った。
ボタンを全部閉め、裾をズボンに入れる。袖は数回折り曲げ、七分袖くらいの長さにした。
「着替えました」
言いながら振り向くと、
「! 先生、何やってるんですか!」
「ん?」
ワイングラスに唇をつけたまま、笹原がこちらを見た。
ギョッとしている岬など構わず、彼はそのままグラスを傾ける。するり、と中の液体が口元へと進む。
ルビー色のそれは赤ワインだった。そばには横文字のラベルをつけたボトル。半分ほど中身が減っている。
「仕事中でしょう!」
当然の突っ込みを放つ。まだ昼休みだ。いや例え放課後であっても、学校内で教師が飲酒などご法度に決まっている。
「んー、まぁねぇ。でも仕方がないんだよ」
笹原は悪びれる風もなく肩をすくめた。グラスのワインは一息で飲み干されていた。それにも関わらず、酔っている雰囲気は無い。
「むしろワインで済む俺はマシな方なんだ」
ふっ、と岬の頭にうろ覚えの記憶がよみがえった。
『聖蜜(ネクター)は個々別の代替物(ソワフ)で賄える場合がある』――数年前、従兄の紹介で出会った女子高生がそう教えてくれた。
「一日三回、赤ワインを飲むこと。俺にとってこれは、道徳的な訓示よりも社会的な道理よりも深い意義がある」
空のグラスを回す笹原を、岬は見つめた。
「赤ワインが……先生のネクターの代わりだからですか」
笹原は顔を上げた。丸眼鏡の奥の目がまん丸になっている。
「確か、マリアホリック全員が血を飲まなきゃ生きていけない、ってワケじゃなかったはずです」
沈黙。
記憶は曖昧だったが、なぜかこれだけは覚えていた。
彼らを渇きから救うのは血液だけではないという事。そう、彼らは必ずしも吸血鬼ではないという事を。
岬は目を瞬いた。
笹原が探るような目でこちらを見たからだ。
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