3章

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 じゃあ、今日はたっぷり水分を取って、できるだけ安静にして過ごしてね。  そう言い残し、由紀菜は帰っていった。三キロ重くなった荷物を下げて、足早に。昨晩緊急入所したというⅠ型のアディクトの元へ――きっとカルテにFMと記載された誰かの元へ。  閉じた玄関扉を、岬はぼんやりと見つめていた。 「みず……飲まないとな」  玄関先でしばらく突っ立った後、ぽつりと呟いて踵を返した。のろのろとした足取りでキッチンへと向かう。  冷蔵庫の取っ手を引く。ガパ、と音を立ててドアが開く。  ドアポケットから牛乳パックを取り出し、ダイニングテーブルの上に置く。  洗いカゴに入っていたグラスを取る。四時前に使ったグラスはまだ乾いておらず、内側に水滴が付着していた。  顔を上げて時計を見ると、午後五時半を回っていた。  いつも採血は一時間かからずに終わる。  長くかかった原因は、三本余計に取ったからか、あるいは、その後の悶着のせいか。  岬は半乾きのグラスに牛乳を注ぐと、一気に飲み干した。冷たい液体が、縮こまった喉を押し開いて落ちていく。味は全く感じなかった。  はぁ、と息をつき、グラスを置いた。  食器棚の奥に目が行った。  ガラス扉がはめ込まれたその段には、両親が気まぐれで買った酒類が収められている。  ウイスキー、ブランデー、ラム、焼酎、日本酒。家ではほとんど飲まないくせに、一通りの酒がそろっている。  その棚を注意して見たことは無かった。  ガラスの向こう側には、ここしばらくで急速に見慣れた瓶も並んでいた。  七百五十ミリリットル入りの果実酒。つがいのように並んだ二本。 『シャトーはワイナリーって意味だと思ってもらっていいな。同じフランスでも、ブルゴーニュだとドメーヌ。イタリアだとカンティーナ。スペインはボデガ。日本じゃ〝なになに酒造〟だね』  初秋、屋上で聞いた言葉が耳によみがえる。  その時感じた緩い風が、頬を撫でた気がした。  岬はゆっくりと、棚へと近づいた。
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