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小さな窓がはまったドア。
ガラス越しにのぞいてみるが、斜めに置かれた棚が目隠しになって、中の様子はほとんど窺えない。
と言うか、何で斜めに置く。「通りづらいけど、まぁ入って」なんて言う前に、まずは部屋を片付けてほしい!
ほんの三日前のやりとりが頭をかすめる。岬がここ生物準備室に足を踏み入れたのは、あの屋上の一件の後が初めてだった。
高校に入学してから、笹原統也という生物教師には、週に二回の授業で自動的に顔を合わせている。つい先程も彼の授業を受けてきたばかりだ。
月曜日の二限目は生物。肝臓の構造とアルコールの代謝経路を丁寧に説明している彼が、その内側に未知の遺伝子を秘めているとは、クラスメイトの誰も想像しないだろう。岬だってそうだ。
彼の授業はいつも通り分かりやすく、和やかに進んでいった。
ただ今日は、一度も彼の目を見ることができなかった。
ドアノブに手を伸ばす。ピリピリとした刺激が、こんな所からも発信されているような気がする。
『惹き合ってるのよ』
由紀菜の言葉が耳に戻る。共鳴する遺伝子。
もしかしたら、彼も気づいているのかもしれない。岬がここに立っていること。このドアを開けようとしていること。
幸せになった。
ずくん。
その未来を願った瞬間、最後のためらいが、あぶくのように爆ぜた。
ドアノブを回す。ギッ、と音を立ててドアが開いた。
「ん、えっ?」
棚の向こうからびっくりした声が聞こえた。
ガタガタンと音がした後、長身の影がひょっこりと姿を現す。
「……失礼します」
遅れて岬は断りを入れた。
目を逸らしながら。
「日名川君」
名を呼ばれ、視線を上げた。
二限目に見たばかりの顔が数メートル先にあった。黒
板を背ににこやかに講義していた表情とは程遠い、驚きと、戸惑いが混じったような瞳。丸眼鏡の奥で二度瞬く。いきなりの岬の登場が心底意外だったようだ。
その証のように、口元にはパンくずがついていた。
岬は、自分が脱力するのが分かった。
「今、いいですか」
「ああ、もちろん」
おいで、と手招きされる。岬は室内へと入り、後ろ手にドアを閉めた。
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