1章

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「鍵をかけておいて」  笹原に言われ、ツマミ状の鍵をひねった。これから世間一般的には突拍子もない話をするんだ、当然だろうな、と岬も同意する。  密約を交わす、と言ってもいいのかもしれない。  無造作に置かれた教材の箱をまたぎながら、部屋の奥へと進んでいく。三日前よりも通りにくくなっている気がする。  隘路の先で笹原が待っていた。窓際に置かれたデスク。上には食べかけのサンドウィッチがのっている。手作りのようだ。  奥さんか、恋人がいるんだろうか。  奇妙な棘が、心の中に引っかかった。 「椅子が……あったあった。よかったら座って」  奥から引っ張り出されたパイプ椅子を進められる。  岬が腰かけると、笹原もデスクの前の椅子に座った。キャスターがついていて、軸がグルグルと回る椅子だ。  一見して生徒指導室の教師と生徒。サンドウィッチと、その傍らの赤ワインがこの空間から浮いている。 「食事中だったんですね。すみません」 「いや、構わないよ。そうだ、君もコーヒーか何か飲むかい?」  岬は首を振った。ぐずぐずしていても仕方がない。 「先生」  笹原の動きが止まる。岬は強い勢いで尋ねた。 「手作りですか?」 「えっ?」 「……えっ?」  口から出た言葉に岬は自分で唖然とした。  笹原もまたぱちくりと目を瞬いた。 「あ……もしかしてコレのこと?」  笹原の目がサンドウィッチを見る。  それしかない。いや、何を聞いているんだ僕は! 「ああ、そうだよ」  はっと顔を上げる。なぜか嬉しそうに笑む笹原がいた。 「奥さん……いるんですか」  つい尋ね、またはっとする。 「いや。弟が作ってくれたんだ」  え、と岬は目を瞬いた。 「鏡也がね、いつもお弁当を作ってくれるんだよ。俺は料理なんてからきしダメなんだけれど、弟は驚くくらい上手いんだ」 「はあ……」  曖昧に頷く岬へ、笹原は笑いかける。 「結婚なんてしてないよ。弟と二人暮らしなんだ」  そういう運命だから。  丸い笑みの向こうに、そう続いたような気がした。  血液に飢える者の遺伝子を抱いた兄弟。その兄はこちらを見ながら、半ば無意識のようにワイングラスへと手を伸ばす。
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