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薄い銀色の刃が鋭利に皮膚を断ち切る。
組織を走り抜け、わずかな抵抗とともに空へと身を返す。
瞬間、血管がめくれ上がった。
抑え付けられていた獣が解き放たれるように、猛烈な勢いで血液が噴出した。
紅い色だった。いつも見ている色だった。
「……」
自らの返り血に染まらぬよう、傷口をぐっと前へ突き出した。
その時だった。
「ダメだ! もったいない!」
「!」
ビクッ! と身をすくめた。
見られた。何で。屋上の鍵は閉まっていたのに。
っていうか勿体ないって何!?
「だ……誰っ」
困惑と共に、雄たけびが上がった方向を振り向く。
それと、物陰からワイングラスを握りしめた男が飛びついてくるのは同時だった。
「ぅわ!」
男の勢いそのままに押し倒される。何がなんだか分からず目を見開く。
丸眼鏡をかけた顔がすぐそこにあった。
「こんな無駄な事をするなんて!」
男は咎める顔と口調で一喝すると、出血し続けている左腕をとった。
「む……無駄な事って」
「ただの自傷的な自己表現ならもっと別の方法でやりなさい。……しかしずいぶん慣れているみたいだね」
「っ……それは」
「それにこの出血……カッターで切っただけだとは思えない勢いだ。人体表層の血管なんて、切った所で血が噴き出すなんてありえない」
ただのリストカットにしては尋常でない量の血液を吐き出す左腕を、男はまるで値踏みするように見つめている。
「常習的なリストカットの痕も無い。不自然だ。あんなに慣れた手つきだったのに」
「……」
彼の唇から安堵がにじんだため息がこぼれた。
「……見つけた」
わけが分からなかった。
「あの」
しかし男は構う風もなく、傷口に向かって微笑を浮かべた。
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