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私は房子の言葉を遮った。
「新藤君、奥さんも子供もいるのよ。そんな人のこと、どうしていつまでも引きずってなきゃならないの?」
私は彼のことを秋ちゃん、ではなく新藤君と呼んだ。二人の距離は、もうどうしようもない。そして、こう思った。彼が亡くなって悲しむのは、私ではない。いやに冷静にそう思ってしまった自分が信じられなくもあった。
「それにねえ、まだ三十五歳でしょ。世の中には三十五で独身の女なんて、くさるほどいるわよ」
と私は強気に言った。
「そうよね。ねえ、でもあんたと秋ちゃん、つきあってたわけだし…」
沈黙が流れた。言ってしまって失敗した、という表情を一瞬見せ、房子が下を向く。
「十年以上も前に、終わった恋でしょ。青春だったって言えば格好いいけど、まあ、そんなものよ、彼とのことは。アルバムに貼った写真を懐かしむような、そんな感じ」
私はわざと、房子に笑顔を向けた。割合自然に、そうできたと思う。さっきの苛立ちは消え、友の前で演技をしている自分がいた。
昔の恋人が亡くなったというニュースを見たばかりなのに、私を気遣う友人を気遣って、笑顔を向けている。三十五歳。そういうことの出来る、年齢になっただけのことかもしれなかった。
「ねえ、葬式とかやっぱ行くべきよね。音信途絶えてたけど、同級生だし」
顔を上げた房子が言う。
「うん。S町でやるんだろうね。彼、ずっと地元だから」
「S町か。ずっと行ってないな。近いのに、用事がないと、遠いよね。まさか、こんな用事で行くとはね」
そう言う房子の目尻に、涙が光った。私は…涙が、出ない。むかしの恋人が、亡くなったというのに…。
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