一章 変わらないもの、忘れたくないもの

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 久しぶりに乙川さんと直接話をして、久しぶりだったのに、あまりにも他愛のない話ばかりだった。本当は、描き続けていた絵が完成したことや、副業だけれども絵を描くのを職に出来たこと、言いたいことがたくさんあった。弾んだ声で色々な話をして、彼女の笑い声も聞きたかった。  けれど僕の口から出たのは、思春期の高校生が母親に迎えに来るよう電話をした時みたいに無愛想で、聞き取れるけどはっきりしない声。彼女が僕の話に笑ってくれたのかというと、もちろんそんなこともない。唯一昔のように躊躇いなく言えたことといえば、最後の「じゃあね」だけだった。  でも、僕はわかっていた。  僕がどうして、こんなにも無愛想な声しか出せなかったのか、その理由を。  そして、乙川さんが電話をかけていた場所を。  けれど、もうそんなことは関係ない。  乙川さんに会いたい。  それはもう願望を超えて、僕にとっての義務みたいになっていた。
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