8.

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自分の身体に生命(いのち)が宿ったと知った時、真祝は切り捨てられなかったのかもしれない。 さっきの推測が答えで、沢山泣いて、迷って決断したことなのかも知れない。 だが今は、ある願望にも似た考えが二海人の頭の中を巡っていた。 「3年前です 」 「3…… 」 時期は合う。もしかしたらと、それこそ憶測でしかないのに期待で感情が震えた。 焦るな。そんな都合のいいことがある訳がないと自分に言い聞かせる。 「3年前の、いつだ? 」 あれは、まだ梅雨の明けきらない、夏というには少し早い時期。断続的な雨が降り続いた後の晴れ間だった。 真祝に会えなくなって、何かの(かたき)のように、ひたすら仕事に打ち込んでいた自分に海外勤務の打診があった頃。期して図らずも、以前に上司に書くように言われた、当時の部署で扱っていたメタル素材の開発と応用に関する草案が上の目に止まったという。何かと自分を目に掛けてくれていた上司は、「リーダー補佐としての赴任だそうだ。いきなりの駐在員だぞ。海外研修員を断り続けていたお前も遂に年貢の納め時だな 」と笑いながら背中を強く叩いた。 この上司が事あるごとに上に推してくれていたことは知っていたし、からかわれながらも、この海外赴任が破格の栄転であることは分かっていた。結果を出して戻ってきた暁には、それ相応のポジションが約束されているだろう。もう、海外支社への赴任を断る理由も無い。その場で上司に有り難く受けると即答した。 真祝の隣にいる限りは最上級の男でいなければならないと思っていた自分が、もう必要もないのに失ってから認められるなんて皮肉だと思った。けれど、βである自分の抜擢は勿論、年齢的にも異例で、それだけ自分の能力が認められたのであると思えば嬉しかったのも本音だ。アイツを好きになって、努力してきたことが無駄ではないと思えた。 そんな時だった。あの日は、赴任地に赴くにあたって事前の計画書とデータの提出を求められ、休日だというのに、家でPCと膨大な資料とを睨んでいた。 初めは宅急便か何かと思った。カタンと玄関から小さな音が聞こえ、ドアの外に気配を感じて覗いたインターフォン越しに、もう一生会えないだろうと思っていた真祝を見た時、遂に幻を見るようになったのかと思った。そして次の瞬間には、弾かれたみたいに体が動いて玄関のドアを開けていた。 信じられなかった。ただでさえ細かった線が更に細くなってはいるが、本物の真祝が確かにそこに立っていた……。 逸る気持ちで、央翔の言葉を待つ。 「夏でした。丁度、8月に入ったばかりの頃だと思います 」 央翔の言葉に、二海人は自分でも瞳孔が開いたのが分かる。 アイツは諦めるために抱けと言った。それを自分は言葉通りに受け止めたが、アイツは想いを抱えて生きていくためにそう言ったのだと、今、気付いた。
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