小鳥の憂慮、或いは月の贖罪と錯誤。そして、あらゆる劣情。

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こんなの馬鹿げてる。夢見ていた『運命の(つがい)』とは全然違う。 この子が20歳の時、自分は37歳だ。若い盛りはとうに過ぎている。幾ら運命と言えど、(つがい)に選んで貰える保証などない。だけど、悔しいが、きっと自分はこの男の言う通り待ってしまうんだろう。 「お名前は、何ていうの? 」 「みお 」 「海の音と書くんだ。妻が名付けた 」 みお……、海音。揺れるさざ波の様な、優しい響きの名前。私の運命。 海音の小さな手が、指が、京香の手に絡ませしっかりと繋ぐ。自然に涙が溢れた。 「おねぇさん、は? 」 「京香(きょうこ )よ 」 「きょ、うこ、ちゃん? 」 うん、うん、と京香が頷くと、苦しそうな海音がにっこりと笑った。 「きょうこちゃん、きれいだね。なみだ、たからものみたい。とってもきれい 」 「ありがとう 」 『綺麗』なんて、生まれてから何度も言われたことのある言葉。けれど忌憚(きたん)のない素直な海音からの言葉は、余計に京香を泣かせた。 「君と海音は、本物の『運命』なのかも知れないな 」 「え……? 」 「……何でもない。こっちの話だ 」 そう言うと、二海人が立ち上がる。必然的に繋いだ手が(ほど)けて、京香は息を飲んだ。 「いや、パパ。きょうこちゃん…… 」 「駄目だ、今日はもう帰るぞ。これ以上ここに居たら、身体に障る 」 「やだ、もっといる! もっといたいっ! 」 「……っ! オイ、こらっ! 」 二海人の腕から逃げ出した海音が、京香に飛び付く。 ふわりと甘くて優しい匂いに包まれて、京香は抱き付いてくる海音を抱き締め返した。 息が苦しいのか呼吸をする度、海音の肩が大きく動く。 「ねぇ、みおが、おおきくなったら、およめさんに、なって、くれる? 」 いきなりのプロポーズに京香は驚くが、「はい 」と3歳の男の子に真剣に返事をした。躊躇いはなかった、何1つ。 「ほんとう? やくそくだよ? 」 「えぇ 」 海音の口元から覗く可愛らしい犬歯が、獰猛に光った気がした。何をされるか分かって京香は瞳を閉じる。 カシッ……と、首輪の上から噛まれたのが分かった。無意味な行動なのに、それは2人にとって最大級の意味を持つ。 閉じた瞳から涙がつつっと頬を伝った。 「約束よ? 大人になったら、本当に私を海音のモノにしてくれるって 」 「いまだって、みおのだ 」 独占欲を孕んだ大人びた台詞は、唯1人のメスを見付けたオスのそれだった。
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