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「如何したの?
着替えなんてして」
「いいの、子供は黙ってお茶を出すの。
探しに行かなくても向こうから来たかも知れないのよ。
綺麗にしなくちゃ」
姉はソワソワしながら外を見る。
店の外には黒い車が停まっていた。
「あれお客様の?」
「故障だって。
暫くの間息子さんを休ませて欲しいって言われたの。
見てよあの車、運転手付よ。
きっとお金持ちよ。
あっ、客間に通してあるからお茶早くね」
そう言うと念入りに化粧を始めた。
私は仕方なく手を洗いお茶を入れて客間に声を掛けた。
「失礼します」
この間学校で習ったばかりの作法を思い出す。
客間に入ってもう一度頭を下げた。
「いらっしゃいませ、粗茶ですが」
そう言ってお客の前にお茶を置く。
急にくすくすと笑う声が聞こえた。
なんだろうと思いながら笑い声の方を見た。
真夏なのに異様な位色の白い男の人が私を見て笑っている。
(なによ、失礼ね)
そう思って部屋を出ようとする私に男性が声をかけた。
「君・・名前は?」
振り返って彼を見た。
笑いを堪えて私を見ている。
「由美子ですけど・・」
「ゆみちゃん、そこ、顔に墨が付いてるよ」
そう言って私の頬を指差した。
私は慌てて部屋を出た。
洗面所に駆け込んで鏡を覗く。
左の頬にべったりと真っ黒な墨が付いていた。
(なによ、笑わなくたっていいじゃない・・)
恥ずかしさに真っ赤になった顔を洗う。
自分の部屋に戻ってまた半紙を睨んだ。
暫くすると車の音がした。
修理が済んだようで姉が客を送る声が聞こえた。
「由美子、どうあの人、すっごくハンサムじゃない?」
いまだ習字と格闘している私に姉がそう聞いた。
「どうって・・」
返事に困る。
今の私には現実の男の人なんて凄く遠い存在に思える。
テレビの中のアイドルの方がよほど身近に感じた。
それから一週間ほど過ぎた頃だった。
商店会の幹事をしている中倉さんが父を訪ねてきた。
なんでも隣町の質屋の長男がうちの娘を見初め、見合いを申し込んで来たとの事だった。
中倉の叔父さんと言うのは父の幼馴染で町内の世話役のような事をしている。
あの日留守をしていて事情を知らない両親は慌てて姉を学校から呼び戻した。
姉から話を聞いた父は、まだ嫁ぐには早いと言いながらも嬉しそうな姉の様子にこの見合いを承知した。
話しはトントン拍子に進み翌週の日曜に見合いとなった。
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