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香里もその異様な情景を呆気にとられて見ていた。そして、彼女が池永を見たとき、彼が口を開いた。
「僕らもああいうふうにしてみるかい」
「まあ、いやだわ。こんな昼間から」
池永は冗談のつもりだったが、香里は真顔で応えた。
固く抱きあったどのカップルの姿も、紺碧の海や深緑の並木を背景にまるで3D映像のようにくっきりと浮びあがり、彼らは陶酔の世界を彷徨っているように思えた。
「あの人たち、なんだが変だわ」
香里がカップルを見わたして言った。
「そうだね。みんなうっとりしているようだけど、生気がなくて眠っているみたいだな」
池永もカップルを眼で追いながら言った。
「なんだか気味がわるいわ。早く行きましょう」
普段は好奇心の強い香里だが、よほど違和感を感じたのか、脚を早めて、そこから立ち去ろうとした。池永も彼女の後を追った。
池永と香里の出会いは偶然だった。新宿のダイニングバーに合コンにきていた香里が気分がわるくなり、廊下の壁によりかかっていたところを池永が介抱したのがきっかけだった。
ショートヘアと透きとおるような白い肌は、香里を瑞瑞しい少女のように見せていた。大きな瞳と長い睫が美しい顔の輪郭を一層引立てていた。彼女は半蔵門の教育図書の出版社に勤務していた。職場が近いところから、池永が彼女をランチに誘い、交際が始まった。それから季節が一巡りしていた。
街中で目だつカップルの姿にようやくマスメディアも気づき、夕方のニュースなどで伝えはじめたが、その原因についてはどのメディアも沈黙を続けた。
そんななか、L‐エクスピダイトの情報は瞬くまに浸透し、若者たちのあいだでは一種の救世薬ように思われ、潮が満ちるように静かにその愛用者がふえていた。
「先生、このL‐エクスピダイトというのは医薬品と考えていいのでしょか」
テレビのニュースショーのキャスター、下弦良二が杏森医科大学の斎藤教授に訊いた。
「そうですね、医薬品ですね。成分についてはまだよく分っていませんが」
斎藤教授はやや不機嫌に応えた。
「成分がまだ分らないとのことですが、これはどういう働きをするんでしょうか」
下弦が訊いた。
「服用者の症状をみるかぎり・・・、おそらくドーパミンとかセロトニン系に影響を与える物質だと思われますが・・・」
斎藤はたどたどしい口調で応えた。
「そうしますと、成分がなんであれ、当局の承認が必要ですよね」
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