僕が君に触れるとき

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「でも」 「私は死ぬならあなたに触れられてから死にたいの。この意味、あなたにわかるかしら?」  美湖の唇から紡がれる言葉は、今日は驚くほど甘美な響きを僕の耳に届けていた。  美湖がこんなことを言うのは初めてだからだ。 「今日は体調でも悪いの?」 「思ったのよ。誰かの腕の中で死ぬってどんな感覚なのか感じてみたいと」 「でも、死ぬのは一度きりしかできないし、死んだらその後のやりたいと思ったことは何もできないんだよ? そんなの人生の一番最後に経験すればいいじゃないか」 「私はもうきっと十分生きたんだわ。だから神様は私を連れて行こうとしているのよ」 「僕は美湖とやりたいことがまだたくさんある」 「私はないわ。あなたと出会えた。ただそれだけで十分よ」 「なにを言っているんだい? 僕と出会えただけ? それで満足するような人じゃないだろ、君は」 「私も案外一人の気弱な小さな女の子なのよ。好きな人に抱かれて死ねるならいいと思えるほど」  美湖の微笑みは、いつもと変わらず凛としていた。  ――美湖はこんなことを言うほど弱かっただろうか。  一人でいることを好んでいた美湖が、僕と二人でいることを好むようになった。美湖の世界にはいつも美湖と僕しかいなかった。そんな世界が、だんだんと美湖を狂わせていったのだろうか。
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